この「待てない社会」の中で「待つ」ということを突き詰めて考えているのが、鷲田清一著『「待つ」ということ』(角川選書)です。
意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性を私たちはいつかなくしたのだろうか。偶然を待つ、自分を超えたものにつきしたがうという心根をいつか喪ったのだろうか。時が満ちる、機が熟すのを待つ、それはもう私たちにはあたわぬことなのか・・・・・・。情報が氾濫し、ある種の問題に対しては簡単に答えが見つかる社会。人とのコミュニケーションが手軽に瞬時でできる社会。とても便利なものですが、その分、じっくりと考えるプロセスが省略されてきたように感じます。これを「効率化」と言ってしまえばそれまでですが、何か大切なものを見落としているように思えます。
時の流れが加速している社会の中で、改めて「待つ」ことについて考える意味はあまりないのかもしれません。ただ、どれだけ便利になったとしても、将来の不確実性がなくなることはありません。この不確実性こそが「待つ」ことの本質です。日常的に「待つ」ことへの耐性が喪われてしまうと、すぐに答がでないもの、曖昧なものに直面したときに、対応できなくなってしまいます。
効率化に逆行するのもたまにはいいのではないでしょうか。
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