2013年9月4日水曜日

「敗戦処理」はエースの仕事である-『衆愚の病理』

里見清一氏の著書『衆愚の病理』は面白い本です。著書は三井記念病院呼吸器内科科長という立場にありながら、医療を超えて広く社会問題に対して、時にはユーモアを交えながらも本音で痛烈な批判をしています。著者の主張のすべてに賛同できないまでも、社会的地位がありながらこれだけ批判を恐れずズバズバと言いたいことを主張できるという姿勢は素晴らしいと思います。

そんな中で、この本の第一章の「『敗戦処理』はエースの仕事である」はとても考えさせられる内容でしたので、紹介したいと思います。

まず、福島の原発事故に対して、ただ東電を非難したり、脱原発を主張したりする人達に対して、著者は痛烈な批判をしています。
私には、東電を今「批判」している人たちの中で、本当のその資格があるのはごく一握りではないかと思える。 
今、起こってしまったことを悔やみつつ、「敗戦処理」のための具体策を、あえていえば東電と一緒に呻吟している人たちだけが本物である。東電のコマーシャルに出た芸能人に至るまで戦犯扱いして、ただあいつも悪いこいつも悪いと言っているだけの奴は黙るべきである。もしくは一人で壁に向かって呪っていればよい。
原発事故の処理という敗戦処理は長期に亘る困難なものであり、脱原発を主張する場合、この敗戦処理の担い手の確保が非常に困難になります。
もちろん事故を起こした原発の処分ははるかに困難であり、おそらくは数十年単位の時間がかかる「敗戦処理」である。誰がこれをやるのか。 
何十年か先には消えてなくなる産業の後始末を進んでやろうという若者(これから大学に進もうという人間にとっては、働き盛りでその仕事が消滅することになる)がいるのか。 
脱原発とは、積極的に技術や資金を注ぎ込んで行う事業である。原発なくなれ、と言ったら勝手に向こうが消滅してくれるものではない。
ここがこの本の特徴でもあり、面白いところですが、話が脱線したところで著者の本音が随所に出てきます。
福島原発事故で最も口惜しかったことの一つは、中国に汚染国呼ばわりされたことである。(中略)お前らだけには言われたくない、と思ったのは私だけではなかろう。 
菅元首相は、その昔薬害エイズ問題で厚生省の責任を明らかにして謝罪したことも最大の業績にしているが、そもそも自分がやったことではないことを謝るのは気が楽である。それによって、おのれは良心的であることもアピールできる。私は別にあの決断自体をどうこう言うのではないが、ああいう、どう転んでも自分には傷がつかないことをその後の「売り」にする了見は、やはり卑しいと思う。 
そうした「敗軍の将、兵を語らず」の姿勢は、その実凡庸な頭脳が思考停止に陥っているだけ(思考停止する側はむしろラクになるであろう)の可能性が高いにもかかわらず、傍目からもまた当事者自身も「潔い」と勘違いしがちなところが、また余計に厄介である。
この後、医療問題についても、人間の死=敗戦と捉えると、医療の大部分は敗戦処理であり、病気を治す医者が格上で、患者の最期を看取る医者が格下と捉える風潮があると書かれています。さらにそこから終末医療の在り方や安楽死について問題を提起しています。

敗戦処理に関して言えば、誰もやりたがらない仕事でありながら、ここでの処理を誤ると大きな被害、損失が生じかねない重要な仕事です。だからこそエース級の有能な人材を充てる必要がありますし、同時にそのモチベーションを維持するための方策が必要となります。

福島原発事故に関しても、東電の幹部はともかく、東電の職員に方々に対しては気の毒にすらなります。もちろん、それ以上に福島で避難生活を送っている人は苦労しているという意見もあるでしょうが、今後ずっと給料は上がらず、ボーナスは出ず、世間からは冷たい視線を浴び続けなければならないとすれば、誰が東電で真面目に働こうと思うでしょうか?こうした東電批判の背景には、これまで殿様商売をしていて待遇が良かったことに対するひがみややっかみがあるんじゃないかと思ってしまいます。

敗戦処理の問題はこの本の一部でしかありませんが、中には民主主義を一時棚上げして政権を天皇陛下と自衛隊に託すべき、という突拍子もない提言もあるものの、建前論を排して本音で社会問題や医療問題について考えていて、一読の価値のある本だと思います。





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