2013年9月26日木曜日

旭日旗を禁止しようとする韓国は友好的な隣国か?

韓国で、またまたとんでもない法律ができようとしています。韓国の与党議員らが旭日旗の使用を禁止し、違反した場合には懲役刑や罰金刑を課すというものです。

韓国の政治家は反日強硬姿勢を見せることでしか、自らの存在を示すことができないのでしょうか?

8月8日のJ-CASTニュースによれば、韓国でも旭日旗に反発するのはメディアとネトウヨだけで、若者たちの間では「旭日旗」ファッションが流行しているという話もあります。

韓国でこのような法律が成立してしまうとどうなるのでしょう。特に、日本で最も反日的、すなわち韓国に対して好意的な朝日新聞の社旗はどうなるんでしょうね。

菅官房長官は「政府として韓国側に申し入れていきたい」と言っていますが、話したところで何の解決にもならないでしょう。韓国は友好国でも、民主国家でもありません。五輪招致活動の大詰めで 科学的根拠もなく日本から水産物の輸入を停止して、東京での五輪開催を阻止しようとしたことを忘れることはできません。

韓国の旭日旗禁止法案「大きな誤解だ」 菅長官、政府に申し入れも(J-CASTニュース)

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2013年9月25日水曜日

なぜ復興法人税だけ前倒しで廃止するのか-法人優遇、個人軽視の税制

復興法人税の1年前倒しで廃止することによって、税収が9000億円減ると報じられています。一方で、安倍首相は復興予算は減らさないと言い、麻生財務相は新規国債発行はしないと言っています。元々財政再建のために消費税を増税する話でしたので、増税する一方で減税するくらいなら、増税幅を圧縮した方が良いのではと考えてしまいます。

ただ、財務省の強かなところは、恒久的な影響を及ぼすものと単年度の影響で終わるものとを混ぜて議論している点です。復興法人税の前倒しでの廃止は、あくまで1年分の影響しかありません。これが法人税の実効税率を下げるとなると恒久的な影響を及ぼすことになります。また、消費税増税に伴う低所得者への配慮も、あくまで1度だけの現金給付に過ぎません。

本当の意味でのデフレ脱却から好景気への好循環を生み出すためには、賃金・給与が増える必要があります。だからこそ、企業の賃上げを促すために、安倍首相は法人税の減税を財務省に飲ませようとしています。しかし、復興法人税を廃止したくらいで企業が賃上げをしようと動くでしょうか?

そもそも、法人税を払っているのは全体の3割に過ぎません。もちろんこの3割は大企業が中心だと思いますので、従業員の割合からするともっと多いでしょう。そうだとしても、その3割の企業も単年度での減税で従業員の昇給を積極的にしようということにはならないでしょう。なぜなら、ボーナスはともかく、基本給は少しくらい業績が悪くなってもすぐに下げることはできないからです。

一方、復興特別所得税は平成49年まで続きます。そうなると、個人より法人を優遇していることになります。僕は、法人税を減税して賃上げをしろ、と言うよりは、個人の所得税を減税した方が消費という点では効果があると思っています。安倍政権は財界との関係を重視しているのか、どうも税制では法人優遇、個人軽視といった傾向にあると思われます。

<復興法人税>廃止で9000億円減収 経済対策の財源は(毎日新聞)

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消費税増税とセットでやるべきことは法人税ではなく所得税の減税です。


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2013年9月23日月曜日

マキャベリ『君主論』の中の気になった言葉


マキャベリの『君主論』は、建前としての道徳論ではなく、人を治める君主として求められる資質や振る舞いを本音で述べているため、その内容は冷酷であり、多くの批判もあります。現代の日本では、会社であったとしても、多くの社員を抱える場合は、大衆を治める国の統治と共通する部分も多く、だからこそ、今でも『君主論』は多くの人に読まれているのだと思います。

その『君主論』から、僕が気になった言葉を選んでみました。本書は全体に亘って金言がちりばめられており、その中のどれを選ぶかは人によって大きく違うでしょう。
民衆というものは頭を撫でるか、消してしまうか、そのどちらかにしなければならない。 
君主たる者は、自分の領民を結束させ、忠誠を誓わすためには、冷酷だなどの悪評をなんら気にかけるべきではない。 
愛されるより恐れられるほうが、はるかに安全である。 
人間は、恐れている人より、愛情をかけてくれる人を、容赦なく傷つけるものである。 
民衆が愛するのは、彼らがかってにそうするのである。だが、恐れられるというのは、君主がわざと、そうさせたのである。したがって賢明な君主は、もともと自分の意識に基づくべきであって、他人の思惑などに依存してはならない。 
名君は、信義を守るのが自分に不利をまねくとき、あるいは、約束したときの動機が、すでになくなったときは、信義を守れるものではないし、守るべきものでもない。 
君主は恩恵を与える役はすすんで引き受け、憎まれ役は、他人に請け負わせればいいということだ。 
人は、慎重であるよりは、むしろ果断に進むほうがよい。なぜなら、運命は女神だから、彼女を征服しようとすれば、打ちのめし、突きとばす必要がある。運命は、冷静な行き方をする人より、こんな人の言いなりになってくれる。
こうした本音は心の中に留めておく必要がありますね。要するに、企業においてトップは、部下に恩恵を与えつつも、部下から恐れられ、部下を甘やかしてはいけない、いざというときは果断に決断しなければならない、ということです。トップは孤独ですね。


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遠い青春時代の興奮を思い出す-『YOSHIKI/佳樹』

高校時代、アルバム「BLUE BLOOD」を手にしたときの興奮、ライブで見たYOSHIKIの命を削るようなドラムソロと全く別人格のようなピアノソロ、TOSHIのパワフルなハスキーボイス、HIDEとPATAのツインギター、そして、TAIJIの躍動感あるベースソロ。今となっては遠い青春の思い出ですが、そのときの興奮を再び思い出させてくれたのがこの本です。

熱狂していたときは、表面的な姿しか見ていませんでしたが、この本を読んでその背後にメンバーの様々な葛藤や苦悩があったことを知りました。年月を経て、”X”が”X Japan”になった頃には熱も冷めて”X”から遠ざかっていましたが、TOSHIの脱退やhideの死のニュースを耳にして、時代が過ぎ去っていく寂しさを感じていました。

YOSHIKIという天才が命の限界まで音楽に掛けてきた足跡を、多少美化して描いている印象は否めないので、ファンでなければなかなか共感できないかもしれません。ただ、僕にとっては、日常生活に埋没している中で、久し振りに懐かしい感情を思い起こさせてくれた本でした。


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2013年9月22日日曜日

リニア中央新幹線ルート発表の空騒ぎ

先週、リニア中央新幹線の詳細なルートが発表されました。東京-名古屋間に4つの中間駅ができるということで、中間駅では期待感が高まっているようです。ただ、果たしてどれだけの経済効果があるのかと考えると、どうも疑問に感じてしまいます。

JR東海は上下とも1時間に5本ずつ走らせることを想定しているということですが、正直、それだけの本数で採算が取れるとはとても思えません。料金がどんでもなく高くなると需要が期待できないでしょうから、どれくらいで落ち着くのか興味があります。

速度については、東京-名古屋間を最速で40分、各駅に停車すると72分かかるようですが、現在のぞみで品川-名古屋間が約90分ですから、あまり中間駅に停車すると速度のメリットがほとんどなくなってしまいます。そう考えると、中間駅にはせいぜい1時間に1、2本しか停車しないことになるのではないでしょうか?

正直、リニアの建設の目的は、大都市を短時間で結ぶことと、現在の新幹線のバイパスとしての役割だと思います。そう考えると中間駅は地元の陳情を受けてやむを得ず最低限度の設置を決めたというだけのことでしょう。だから、JR東海は駅の施設は最低限度の留め、後は地元で好きな様に施設を付け足せばよいという考えなのです。

僕としては、中間駅周辺で無駄な投資をして地元自治体の財政が悪化したり、JR東海に無用な圧力を掛けてリニアの効率性が損なわれることがないことを願っています。

リニア中央新幹線詳細ルート発表 JR東海と自治体の思惑のずれも(FNN)

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リニア中央新幹線のルートについて考える


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2013年9月21日土曜日

アベノミクスの是非を考える前にデフレの本質を知る-『デフレーション』


吉川洋教授は、ケインジアンの立場から常に統計と理論に基づき、冷静かつ実直な議論を展開されています。時流に乗った刺激的な発言とは無縁の誠実な学者タイプであるため、玄人好みの経済学者ではないかと思います。

その吉川教授による『デフレーション』ですが、アベノミクスの柱である大胆な金融政策による2%インフレターゲットの是非を考える上で、是非読んでおくべき良書だと思います。

日銀の使命の一つは通貨の安定であり、これは伝統的にはインフレ退治を意味していました。それが今では日銀が自らインフレに誘導しようとしているわけですから、時代の変化とは恐ろしいものです。しかし、20年間にわたるデフレの本質に対して誤った理解をしていると、インフレが制御できずにバブルが発生したり、インフレによって不況を招くことになりかねません。

本書は、過去のデフレを巡る論争を振り返りつつ、現在主流派となっている貨幣数量説と価格決定メカニズムについて理論的に考察しています。そして結論として、次のように主張しています(以下要約)。
デフレの中で消費者の「低価格志向」がどんどん強まっていき、加えてグローバル経済における国際競争、円高の下、日本企業は一貫して「1円でも安く」コストダウンを図るべく「プロセス・イノベーションに専心してきた。その結果、日本経済の将来にとってより大きな役割を果たす「プロダクト・イノベーション」がおろそかになってしまったのではないだろうか。
ではなぜ日本だけがデフレになったのか、という点については日本の賃金決定に生じた大きな変化を理由として挙げています。 すなわち、高度経済成長規に確立された旧来の雇用システムが崩壊し、本格的なリストラが行われる中、「雇用か、賃金か」という選択に直面した労働者は名目賃金の低下を受け入れた、というのです。

そのように考えると、いくら日銀が金融緩和を進めても、円安によるコスト上昇によるインフレや資産インフレは起っても、インフレ期待によるプラスの経済効果は期待できないという結論に達します。今は2020年の東京五輪開催決定による株高と将来の需要期待で、そうした悲観論は影を潜めてしまいましたが、何のためのインフレターゲットなのかは常に考え続けなければならないでしょう。

さらに、吉川教授は経済学のあり方について、とくに新古典派マクロ経済学を痛烈に批判しています。
ルーカス、サージェントらによる「合理的期待」モデルは、マクロ経済学に大きな影響を与えた。筆者の考えでは、それによりマクロ経済学は、現実の経済とは何のかかわりも持たない知的遊戯に変わってしまった。
僕自身も大学で経済学を学び、大学院の講義にも出たりしていましたが、当時のトレンドが最適成長論による景気変動モデルの構築で、複雑な数学を駆使しながら、パラメーターを適当に動かして何となく現実の経済を説明しているかのように思える論文をたくさん読んでいくうちに虚しさを覚えた記憶があります。


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消費税増税と引き換えに議論される中途半端な経済対策

消費税増税が決定的となりつつある中で、増税先送りの議論からセットで行う経済対策へと条件闘争の話にシフトしています。政治は決めたことは余程のことがない限り実行するべきだとは思っていましたが、どうも話がおかしな方向に行っているように感じます。

現在話題になっているのが法人税率の引き下げと復興特別法人税廃止の前倒しや低所得者への現金給付です。別の税目で減税するくらいなら税率に引き上げ幅を圧縮すればいいと思いますし、わずかばかりの現金を配るのにどれだけのコストがかかるのか心配になってきます。

日経新聞は法人税減税に大賛成で、個人にも恩恵があると、法人優遇の批判に対して擁護しています。法人税を払っているのが法人全体の3割しかない現実を見ればいかに詭弁かがわかるでしょう。さらに数%程度の税率の引き下げで、企業の海外移転を抑制したり、海外からの投資を増やす効果が期待できるかと言えば、極めて疑問であると言わざるを得ません。企業の意思決定において、規制のあり方や人件費、その他のコストの方がより大きな影響を及ぼすのではないでしょうか。

また、低所得者への現金給付についても、一人当たり1万円を配ったからと言って、どれくらい景気に影響を与えるのか疑問です。コストと労力を掛けてこんな子供だましのようなことをやるくらいなら、財政健全化を優先させて欲しいと思います。

安倍政権はこの先3年間は選挙がないわけですから、あまり目先の批判を恐れて中途半端なことをするより、もっと本質的な議論をするべきでしょう。つまり、税収がいくら必要で、それを誰がどのように負担すべきかということです。制度の微調整ばかりしていると、そうした本質的な議論から離れて税制がどんどん複雑になってしまい、それが社会全体で大きなコストになっているのではないかと心配になります。

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2013年9月19日木曜日

韓国人の歪んだ愛国心

少し前のニュースですが、韓国で95歳の男性が、「日本の植民地統治は、良いことだった」と言ったところ、その場にいた38歳の男性に殴り殺されたという事件があったそうです。韓国人の反日思想にはいつもうんざりしますが、さらに恐ろしいことに、韓国のネット上ではこの被告を「愛国青年」と称えて、95歳の男性のことを「殺されて当然」であるとか、「正義の審判だ!」といった、殺人を肯定する発言が多数派となっているようです。

もともと韓国には思想信条の自由はありませんし、テロリストである安重根を銅像にして称えているような国です。歴史観が違うだけで殴り殺されて、しかもその殺人が正当化されるとは、とても文明国家とは言えません。裁判で裁判官はどのような判決を下すのかとても興味があります。

日韓併合がどのような時代背景の下で、どのような手順を踏んで実施されたのか、日本による統治によって、朝鮮半島の生活水準がどれだけ向上したのか、韓国人はきちんと歴史を学ぶべきでしょう。

95歳男「日本統治よかった」発言で殴り殺される 韓国ネットでは「死んで当然」「正義の審判だ」(J-CASTニュース)

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2013年9月18日水曜日

東京五輪決定でますます心配される建築費の高騰

2020年の東京五輪開催が決定した直後、ゼネコン株が高騰しました。これから五輪開催に向けて、会場の整備のみならず、道路や鉄道の整備や再開発が活発化することが期待されています。
そんな期待の中で、建設業における人材不足が懸念されています。

東日本大震災以来、復旧、復興需要で資材の高騰以上に問題になってきたのは、職人の確保です。現場監督がいない、型枠大工がいない、といったことで、工期が定まらず、工期が延びたり、工事の発注すら難しくなってきています。そうなるとゼネコンも割のいい工事を選別して受注するようになり、価格交渉では発注者不利の状況が続いてきました。五輪開催決定でこうした状況に拍車がかかるでしょう。

人材不足の背景には、これまでの公共事業費の削減の影響があるのではないかと思っています。職人は末端では個人や零細企業ですから、生活が安定しなければ廃業し、新たななり手がいなくなってしまいます。

現在は、大手デベロッパーでさえも規模の小さな工事は発注先が決まっていないと聞きますので、今後益々事態が深刻になっていくことを心配しています。今後マンション建設などでは、発注先のランクをどんどん下げていき、品質が下がっていくことも考えられますので、新築マンションを選ぶ上では、施工業者の確認が今まで以上に大切だと思います。



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2013年9月16日月曜日

経営の神様が創り出した新しい福祉の仕組み-『福祉を変える経営』


障害者が自立するための施設として、共同作業所がありますが、民間の共同作業所の現実は、障害者の自立とは程遠く、そこで得られる給料は月給1万円未満と言われています。つまり、そこは生活の糧を得る場ではなく、障害者の居場所としての意味しかなく、しかもボランティアの善意によって支えられて何とか僅かばかりの金銭を給料として支払っているにすぎません。

もちろん、福祉を支えている多くの人の善意と努力は認めなければならないでしょうが、ヤマト運輸の創業者である小倉昌男氏は、障害者の働く場である共同作業所にも経営の視点を持ち込み、市場経済の中で物を売り、サービスを提供することで、障害者の所得も増え、そのことで生活の目標が生まれて必ず次の要求が出てくる、そういうことがノーマライゼーションだと言っています。

「福祉」と「金儲け」とは本来相容れないもののようにも思えますが、福祉としての仕組みが持続していくためには、資金が安定的に回っていく必要があります。赤字の事業は長続きすることは不可能です。また、月給1万円程度では働いて稼いで生活していくというには程遠いものです。障害者が働くことで生きがいを感じられるようにしようと思えば、市場経済の中で物やサービスを提供し、適正な対価を得るという経済活動が必要となります。

小倉氏は、1995年にヤマト運輸の会長を退任した後は、ヤマト福祉財団の理事長職に専念し、障害者の自立支援にあたったそうです。民間企業に障害者雇用を義務付けることも必要だとは思いますが、小倉氏のように障害者が普通に働ける場を作り、そこで普通の経済活動ができるという発想こそが福祉には求められているのだと思います。



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大東亜戦争はアメリカの陰謀だった-『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』

日本は真珠湾攻撃の直前まで、対米戦争を回避するために真剣に努力していたが、チャーチルの要請でアメリカが欧州戦線へ参戦するための口実を作るため、ルーズベルトは日本に先制攻撃を打たせるように仕掛けていたといいます。つまり、戦争回避のためと思われていた日米交渉は、アメリカにとっては時間稼ぎに過ぎなかったのです。

アメリカは、日本が宣戦布告前に真珠湾を攻撃したことで、日本は卑怯な騙まし討ちをしたとして、「リメンバー、パールハーバー」と国民世論を煽動し、圧倒的な国民の支持を受けて対日戦争を開始し、あわせて欧州への参戦することができました。この真珠湾攻撃について、ルーズベルトは暗号の解読によってすでに知っていたにもかかわらず、ハワイのキンメル大将には知らせず、しかし旧型艦のみを残して空母は事前に真珠湾から離脱させていました。

さらに言えば、アメリカは中国において、蒋介石政権に爆撃機を供与し、アメリカ人パイロットを「義勇兵」の名目でこれを操縦させ、日本本土を爆撃させる「JB-355計画」を1945年7月にはルーズベルトは承認していました。結果的には実行されませんでしたが、その代わりに昆明の日本軍基地を爆撃しています。

日本は自衛のために追い込まれて立ち上がり、アメリカに完膚なきまでにやられましたが、敗戦後も日本人兵士はアジアの解放のため、戦っています。例えば、インドネシアでは日本の降伏後、オランダ軍が再び支配下に置こうと侵攻し、現地人との間で激しい独立戦争が行われましたが、現地に残った日本人兵士は敗戦後も現地に残り、インドネシアの独立のために共に戦い、多くの犠牲者を出しました。人種平等、アジアの解放という大義が日本人兵士の中にあったからこそ、共に戦ったのだと思います。

現在の人種平等社会が実現できたのは日本の功績であると言えるでしょう。そう考えると、本書の次の言葉も納得できるものです。
今日、ゴルフでタイガー・ウッズが、テニスでウィリアムズ姉妹が活躍し、黒人の大統領まで登場したのは、日本の功績である。
日本は、1919年に国際連盟で人種差別撤廃条項を提案し、多数決で過半が賛成していながら、議長のウィルソンによって「全会一致でないため提案は不成立である」として否決されました。本書を読めば、日本が侵略戦争を行ったとはとても言えないことがよくわかるでしょう。



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2013年9月15日日曜日

『永遠の0』から考える真の戦争責任

ベストセラーとなり、映画化も決まっている『永遠の0(ゼロ)』について、その感動的なストーリを今更ここで紹介するのも野暮だと思いますので、この本の中でストーリーの本筋から少し外れたところで僕が印象深かったシーンを紹介したいと思います。それは、新聞記者の高山と、元海軍中尉で一部上場企業の社長まで勤めた武田とのやり取りのシーンです。

ここで高山は、典型的な戦後の左傾化した教育を受けたエリート新聞記者として描かれています。高山は、特攻を一種のテロリストと看做し、それは軍部の洗脳により生み出されたと考えています。
私は特攻隊員が一時的な洗脳を受けていたと思っています。それは彼らのせいではなく、あの時代のせいであり、軍部のせいです。しかし戦後、その洗脳は解けたと思っています。だからこそ、戦後日本は民主主義になり、あれだけの復興を遂げたと思っています。 
私は、特攻はテロだと思っています。あえて言うなら、特攻隊員は一種のテロリストだったのです。それは彼らの残した遺書を読めばわかります。彼らは国のために命を捨てることを嘆くよりも、むしろ誇りに思っていたのです。国のために尽くし、国のために散ることを。そこには、一種のヒロイズムさえ読み取れました。
こうした発言から、戦時中の日本国民は軍部によって洗脳され、騙されていたが、アメリカによって解放され、自由と民主主義がもたらされたとする、それこそアメリカによる洗脳が浸透していることがわかります。

一方、武田は高山の発言に対して激しく反論します。
当時の手紙類の多くは、上官の検閲があった。時には日記や遺書さえもだ。戦争や軍部に批判的ない文章は許されなかった。また軍人にあるまじき弱々しいことを書くことも許されたかったのだ。特攻隊員たちは、そんな厳しい制約の中で、行間に思いを込めて書いたのだ。 
遺族に書く手紙に「死にたくない!辛い!悲しい!」とでも書くのか。それを読んだ両親がどれほど悲しむかわかるか。大事に育てた息子が、そんな苦しい思いをして死んでいったと知った時の悲しみはいかばかりか。死に臨んで、せめて両親には、澄み切ったこころで死んでいった息子の姿を見せたいという思いがわからんのか! 
私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている。日露戦争が終わって、ポーツマス講和会議が開かれたが、講和条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明した。こんな条件が呑めるか、紙面を使って論陣を張った。国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起った。 
私はこの一連の事件こそ日本の分水嶺だと思っている。この事件以降、国民の多くは戦争賛美へと進んでいった。(中略)しかし軍部をこのような化け物にしたのは、新聞社であり、それに煽られた国民だったのだ。 
戦後多くの新聞が、国民に愛国心を捨てさせるような論陣を張った。まるで国を愛することは罪であるかのように。一見、戦前と逆のことを行っているように見えるが、自らを正義と信じ、愚かな国民に教えてやろうと言う姿勢は、全く同じだ。その結果はどうだ。今日、この国ほど、自らの国を軽蔑し、近隣諸国におもねる売国奴的な政治家や文化人を生み出した国はない。
特攻隊員の遺書の多くは家族を気遣いながらも晴れやかで清々しい言葉で締めくくられています。だからこそ、涙なくしては読めないものだと感じます。厳しい制限の中で、行間に込めた思いを武田は代弁する一方で、戦前から戦時中にかけての新聞社を痛烈に批判しています。この新聞社への批判こそ、日本がなぜ無謀な戦争をしたのかを解く鍵になります。

軍部の暴走が戦争の原因であるとよく言われますが、軍部以上に暴走していたのが新聞社であり、新聞に煽られた国民であるという事実を忘れては本当の歴史は見えてきません。軍部の中にもアメリカと戦争をして勝てると思っていた人間はほとんどいなかったでしょう。それでももしハルノートを受け入れていたら、どうなっていたでしょうか?今からは想像もつかないかもしれませんが、それこそクーデターや暴動が起ってもおかしくなかったのではない状況だったと思います。ところが、新聞社は戦後、すべての責任を軍部に押し付けることで、自らを正当化してきましたし、国民もアメリカの洗脳を受け入れることで自分たちの責任を放棄してきたと言えます。

宮部久蔵の生き方は感動的ですし、この話の衝撃的な結末を読んで鳥肌が立ちましたが、そうしたストーリーとあわせて、様々な角度から戦争について考えさせられる作品でした。



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人間の選択は意外と不合理なものです-『予想どおりに不合理』

伝統的な経済学は、合理的選択を前提に精緻な理論を構築してきました。しかし、現実社会を見てみると、あきらかに合理的選択では説明のつかない不合理な選択をしているケースを目にします。こうした伝統的な経済学の限界を補完するものとして有力なのが、心理学と経済学を融合させた行動経済学です。

この『予想どおりに不合理』は、数多くの実例や実験結果が紹介されていて、行動経済学の理論と現実社会における現象との関係がとてもわかりやすく解説されています。この本を読むと、人間の選択において、様々な要因からバイアスがかかるためにおよそ合理的とは言えない選択をしてしまい、しかもそうした選択はある程度予想可能であるということがわかります。

数式がなく、直感的に理解しやすいため、教養として行動経済学を知る上で最適な入門書だと思います。



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世間の重圧をどう受け止めればいいのか-『生きづらさの正体』

世間が求める「こうあるべき」という規範と、自分の価値観に大きなギャップがあると、大きなストレスを感じることになります。それでも社会で生きる以上、それを受け入れることが当然のこととして教え込まれます。最近は、例えば「おねぇタレント」が市民権を得ているように、一見多様な価値観が認められているようにも見えます。しかしその一方で、情報ばかりが氾濫し、多くの人は皆マニュアルに頼るようになっている分、世間の標準、相場といったものに縛られがちになります。

そうなると、そうした枠組みから外れる人は、ますます社会に適応できなくなり、社会から疎外されていきます。もちろん、多くの人は多少のストレスを感じながらも、表面的にうまく受け流しながら生きているのでしょう。僕自身を振り返ると、一見自己主張をしているように振舞いながらも、要領よく立ち振る舞ってきたから、何度も転職を繰り返しながらキャリアアップすることが出来なのだと思います。

ただ、要領よく立ち振る舞っていると、だんだん自分が一体何をしたいのかわからなくなってしまうことがあります。「自分らしく生きる」と言っても、何が「自分らしく」なのかを見失っているのです。そう考えると、毎日忙しくて充実したと思っている時間も、ただ外部の刺激に反応しているだけで、自分が主体的に生きているわけではないように感じられてしまいます。

ひろさちやさんの『生きづらさの正体』は、自分らしくあろうとして世間の重圧に苦しんでいる人に向けた本です。「はじめに」の中に、こんな言葉があります。
あなたがいじめられるのは、あながた悪いのではなく、世間のほうが悪いのです。そのことを、あなたはまず分かってください。 
それから、あなたがなぜいじめられるかといえば、あながた「まともな人間」になろうとしたからです。世の中の欲に狂った連中と同じになれずに、あなたが「もっと人間らしく生きたい」と思ったから、世間はあなたを敬遠し、あなたをいじめにかかるのです。
「自分らしく生きる」といっても世捨て人になるわけにはいきませんが、生きづらさを感じて心が疲れている人にとっては、そうした苦しみを肯定し、受け止めてくれるこの本は、きっと癒しとなるでしょう。



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2013年9月14日土曜日

戦争は想定外か?-『衆愚の病理』

以前にも触れた里見清一氏の『衆愚の病理』にこんな一節があります。
話はずれるが、「想定外」ついでに言うと、日本国憲法は戦争を「想定外」にしている。
こんな非常識なことはない。あの大震災の津波は千年に一度かもしれないが、戦争は世界でいつもやっている。現在進行形で、いつもやっていることを想定しないなんて、ありうるのか?
とても重要な指摘だと思います。確率論から考えれば、千年に一度の大地震より戦争が起る可能性の方が高いでしょう。日本は戦争をするつもりはなくても、他の国から攻撃を受けることだってありうるわけですから。

ところで、日本国憲法の前文にこんなことが書かれています。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
ここで、「平和を愛する諸国民」とは誰のことでしょうか?日本の周辺諸国を見回すと、中国、ロシア、北朝鮮、韓国、台湾がありますが、台湾くらいはもとかく、それ以外の国に「公正と信義」を信頼することなんてできるでしょうか?

東日本大震災をきっかけに危機管理の重要性が強調されるようになりましたが、あらゆるリスクを想定しておくことが危機管理の出発点となります。想定されるリスクを洗い出した上で、費用対効果を考えながら対策を講じていくのが本来の危機管理です。

そうすれば国家の危機管理としては当然戦争を想定しておく必要がありますし、そのための備えとして軍事力が当然必要となります。しかし憲法第9条という、およそ非現実的な条文の呪縛のために、条文解釈を変えながら、これまで自衛隊という、これまた詭弁で固めた組織を拡充してきました。

東日本大震災での自衛隊の活躍によって、多くの人々から賞賛を受けることにはなりましたが、それまでの自衛隊の皆さんは、日陰者扱いで本当に苦労されたと思います。これまでもPKO活動などで海外に自衛隊が派遣されてきましたが、専守防衛という建前の下で、戦地に行きながら武器使用について大きく制限を受け、必要以上に生命の危険に晒されてきました。こんなことが許されて良いのでしょうか?

平和を唱えていれば平和になると考えるのは非現実的な理想論であり、思考停止状態にあると言えます。安倍首相には、これから期待される長期政権の中で、憲法改正を実現し、自衛隊の位置付けを現実に沿った適正なものにしていただきたいものです。


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2013年9月12日木曜日

非嫡出子(婚外子)相続差別の「違憲」判断について、異論が相次いでいます

9月4日に最高裁が、非嫡出子(婚外子)の遺産相続分が嫡出子の半分とした民法の規定は違憲だと判断しました。これに対して朝日新聞を始め、各紙は支持していましたが、ネットでは異論が相次いでいるようです。

婚姻関係にある夫婦の子である嫡出子の立場に立って考えれば、父親の死後に突然、父親の子と称する人物が現れてきて、自分と同じ権利を主張したら、ただでさえ婚外子の存在を知ることだけでもショックだと思いますし、さらに遺産相続分が減るようなことになれば到底受け入れることはできないでしょう。一方、婚外子の立場から考えれば、自分も同じ父親の子であり、自分が境遇を選べるわけではないから、親の法律関係だけで自分を差別されるのは納得できないということになるのでしょう。

ここで考えなければならないのは、家族という枠組みをどのように考えるかです。近年事実婚が増えているように、必ずしも婚姻届を出すことにこだわらないカップルが増えていますが、家族という枠組みを法律で規定しなくなれば、戸籍制度そのものが意味をなさなくなってしまいます。さらに法律では重婚が禁止されていますが、そうした規定も意味をなさなくなってしまいます。

相続の問題も、それは子という個人の権利の問題ではなく、家族という枠組みで考えるべきではないでしょうか?法律の枠組みの中にある家族の権利が優先されるべきだと考えますし、逆に、こうしたデリケートな問題について、最高裁で14人の判事の全員一致で違憲と判断されたことに恐ろしさを感じます。このままでは家族制度が崩壊し、個人主義がますます幅を利かせるようになってしまうのではないでしょうか。

個人の権利を優先し、伝統や法制度を無視するようになれば、その先に行き着くところは無政府主義です。法曹界の左翼化がこれほどひどいということを改めて認識させられました。そうした意味では、マスメディアは必ずしも国民世論を反映したものではなく、むしろネット上のほうが真っ当な意見が出されています。

婚外子相続差別は「違憲」 最高裁決定、民法改正へ (日経新聞)

婚外子差別の違憲判断、ネット上で反発相次ぐ/新聞各紙と対照的(THE PAGE)



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2013年9月11日水曜日

昭和天皇が自ら語った大東亜戦争-『昭和天皇独白録』

この『昭和天皇独白録』は、昭和21年3月から4月にかけて、昭和天皇が大東亜戦争について、その遠因、近因、経過及び終戦に事情等について、自らの言葉で語られた内容を、寺崎英成氏が記録したものです。そこでは、語られた言葉には昭和天皇のはっきりとした意思や個人的な感情が表れていて、これまで僕が抱いていた昭和天皇のイメージを大きく覆すものでした。

この本を読むと、張作霖爆殺事件での田中義一首相の対応や二・二六事件に対して感情を露にされたり、立憲君主として上奏されたものはたとえ自分の意見と異なるものであったとしてもこれを裁可するという信念から平和を願いながらも開戦を裁可したこと、平和を願い対米戦争を回避するために信頼する東条英機を首相としたこと、ポツダム宣言受諾での決意など、昭和天皇が困難な時代の中で、いかに苦悩されながら政治に関与されていたかが伝わってきます。

また、昭和天皇による人物評もはっきりと語られていて、米内光政には信頼を置き、東條英機に対しても高い評価をされている一方で、松岡洋右に対しては不信感を持ち、近衛文麿に対しても手厳しい評価で、広田弘毅のことも高く評価をされていません。こうした人物評はなかなか興味深いものでした。

さらに、昭和天皇は対米戦争の開戦にあたり、これを拒否した場合のクーデターの可能性を危惧されていたことが繰り返し強調されています。これは5・15事件や2・26事件、さらには新聞などのメディアの煽動が昭和天皇に強い影響を与えていたことを示していると言えるでしょう。

戦後の象徴天皇として表に出てくる昭和天皇のお言葉からは想像もつかない、国家元首として主体的に政治に関与された上でのお言葉は、とても新鮮であり、昭和史をこれまでと違った視点で見直すことのできる、とても価値のある史料だと思います。


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2013年9月10日火曜日

消費税に関するおかしな議論-消費税転嫁対策特別措置法

8月末に行われた有識者会議で約7割が消費税に賛成し、2020年の東京オリンピック開催が決定、さらには4-6月期のGDPの実質成長率が3.8%に上方修正されるなど、消費税増税に向けて、環境整備が着々と進んでいます。消費税増税にあたっては、景気への配慮として何らかの対策が打たれるとは思いますが、それでも財政健全化のために消費税を増税する以上、その規模は増税分の一部に過ぎないでしょう。

僕は消費税増税についてはやむをえないと思っていますが、以前から政府がおかしな議論をしていることを危惧しています。それは、消費税の転嫁を巡ってつくられた「消費税転嫁対策特別措置法」です。一時期、「消費税増税還元セール」はダメだけれども「3%値引きセール」だったら良いというような話が話題になりましたが、その議論です。消費税は最終的には消費者が負担すべきものだから、販売価格を値引きしてその分を仕入先に転嫁することを禁止するというもので、中小企業の保護につながるというのが政府の理屈です。一方で、これまで総額表示が原則とされていたのが、増税後は外税表示が認められるようになり、ある意味消費者の目をごまかして転嫁することを政府が認めているかたちになります。

価格は需給によって決まるものであり、消費者から見れば税込み金額が重要になります。そこで、消費税と関連付けた値引きはダメだけれど単なる値引きだったら良いというのは全くナンセンスな議論です。税込価格が上昇して商品の売れ行きが悪くなれば値引きしてでも販売しようとしますし、そうなると仕入価格を下げようとするのは通常の経済行為だと思います。それを変な理屈で勝手に線を引こうとするのには無理があるでしょう。さらに、その無理を通すために、中小企業庁と公正取引委員会で合計約600名を採用すると報じられています。財政健全化のための増税が、思わぬ財政支出増を招くという本末転倒なことが起きようとしています。こうした無駄なことを考えているから、多くの人が官僚に対して不信感を持ち、増税を支持しないのではないかと思います。



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2013年9月9日月曜日

金融緩和の効果がなかなか広がらない現実

黒田総裁就任後の異次元の金融緩和で、日銀のバランスシートはどんどん膨らみ、マネタリーベースは増えていますが、それがマネーストックの増加にほとんど繋がっていません。金融緩和の目的は、世の中に流れるお金の量を増やすことで景気を良くしようというものですが、これまでのところ、日銀による大量の国債等の買い入れによって、銀行の日銀預金が増えるだけで、銀行の貸し出しはほとんど増えていないのが実情です。

銀行の言い分では資金需要が弱いため貸し出しが伸びないと言うことですが、それは銀行が貸せる先が始めから絞り込まれているために、限られた融資先だけに貸し出し競争が行われ、それ以外の本当に資金が必要な先には資金が回らないようになっています。

このようなことになった理由の一つには、銀行の数が減ってしまったことが挙げられます。かつては都市銀行が10行、長信銀が3行あり、それぞれそれなりに独自性があったため、ある銀行で融資を断られても他の銀行で借入できることがありました。ところが今は、都市銀行は4行に集約されてしまいました。さらに、金融庁の検査マニュアルに導入によって、画一的な基準で債務者区分が行われ、融資方針が決まるようになってしまいました。こうして大手銀行は競争原理が働きにくくなり、融資判断の基準も銀行毎の特徴がなくなってしまったために、国内企業向けの融資が増えにくくなったのです。

円安により輸入物価や電気料金が上昇したため、物価が上昇しつつあります。インフレターゲットといっても、そこで目指していたインフレとは、需要の増加による物価の上昇であり、コストアップによる物価の上昇ではないはずです。このままでは、2%のインフレ目標は達成でき、さらに資産インフレが発生することはあっても、景気の腰折れが早々と起きてしまうのではないかと心配しています。

2020年の東京オリンピック開催が決定したことで、これから7年間、東京を中心に公共投資によるインフラ整備が進み、大きな需要が生み出されることでしょう。それが日本経済にとってプラスとなるのか、それとも大きな財政赤字を残してバブルが崩壊してしまうのか、注意してみていく必要があります。



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2013年9月8日日曜日

企業の中で資格を活かす-これからの士業のあり方

弁護士や公認会計士の合格者が増え、有資格者の就職が難しいという話をよく耳にしますが、その理由として、当初期待されたように企業内専門家としての就職が進んでいないことが挙げられます。僕は公認会計士と税理士の資格を持っていますが、会計事務所や監査法人に勤めたことはありません。はじめから資格で食べていこうとは思っていませんでした。

公認会計士という資格は、監査業務を独占的にできる国家資格ですが、そのことの価値がどれくらいあるかと言われると、そんなに高いものではないと感じています。監査業務の対象は大企業なわけですから、個人で独立して事務所を開業しても、監査で食べていくことはできないでしょう。一般的には、試験に合格すると監査法人に就職することになります。それは、普通のサラリーマンになることになることを意味します。もちろん監査に行けば、クライアントからは新人であっても「先生」と呼ばれるかもしれませんが、別に尊敬されているわけではありません。監査法人で出世するために重要なことは、専門的な知識ではなく、営業力であり、いかに優良なクライアント獲得するかがパートナーの最も重要な使命になります。このことは独立しても同じことです。つまり、資格で成功するためには、専門的な知識以上に営業力が求められるのです。

ここで、なぜ弁護士や公認会計士などの難関資格合格者の企業への就職が進んでいないのでしょうか?僕は、企業と資格保有者との間に大きな認識のギャップがあるためではないかと思います。このギャップとは、企業からすれば試験の合格しただけの有資格者は、それだけでは即戦力にはなり得ない一方で、有資格者からすれば、苦労して多大な費用と時間をかけて試験に合格したのに一般社員と同等条件で入社するのでは割が合わないと考えるところにあります。

したがって、これは僕の考え方ですが、まずは資格そのものには大した価値はないと割り切った上で、資格取得の過程で学んだことを自分の強みとして、企業の中でスペシャリティのあるジェネラリストを目指すというのが、これから求められる士業のあり方ではないかと思います。外部の専門家を使いこなすためには、一定の専門知識は必要ですし、逆に外部の専門家では企業の戦略に沿った主体的な提案を期待することはなかなか難しいのが実情です。また、専門的知識の裏付けのない事業戦略は実行可能性に問題が出てくる可能性もあります。そこで、専門性を持ったマネジメントは、これからより企業に求められる人材ではないかと思います。

そこで気を付けなければならないことは、公認会計士の資格を持っているから経理要員として採用されるということは、できるだけ避けた方が良いということです。それでは単なる専門家にしかなれません。財務的な素養は、経理部以外でもいろんな場面で使うことができるはずです。はじめから資格を活かそうと考えるのではないく、事業そのものに携わる中で、財務的な素養を活かしていくということを目指すべきでしょう。

ただ、そのための大前提としては、資格取得のためにあまり時間をかけないということが重要になります。ある程度若くないと企業での採用は難しいでしょう。そもそも、今の資格制度では、資格は独立開業のためのフリーパスでも何でもないので、余程の事業ビジョンや信念がない限り、会社を辞めたり、何年もフリーターをして資格取得を目指す程の価値はありません。一方で、資格がなくてもそれなりのキャリアを持っていれば、転職市場では資格保有者より高い価値が付きます。難関資格の取得にはそれなりの時間と費用がかかるだけに、単なる憧れだけでなく、資格取得後の現実を見据えた上で資格取得を目指すべきです。

資格取得を考える上で、こんな本も参考になります。




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岸信介の生涯から昭和史を学ぶ-『悪と徳と 岸信介と未完の日本』

2020年の東京オリンピック開催が決定しました。最近、悪意とも受け取れるような福島での汚染水問題の報道が目に付き、少し心配していましたが、オリンピックの開催は、失われた20年の間に国としての自信を失いつつあった日本人にとって、自信を取り戻すきっかけとなるものと信じています。

今回は安倍政権でオリンピック開催が決まりましたが、前回1964年の東京オリンピック開催が決定したときの首相は、安倍首相の祖父である岸信介でした。これも縁と言えば縁なのかもしれません。

その岸信介は、昭和の歴史と共に歩んできた人物であり、さらに言えば、昭和の日本を創って来た人物であるとも言えます。福田信也氏による『悪と徳と岸信介と未完の日本』という岸信介の評伝を読むと、その手法や目指したものに対して賛否両論はあると思いますが、戦前から一貫して日本の中枢で、日本の舵取りに携わってきたことがわかります。

商工官僚時代は昭和恐慌の中で産業統制を行い、満州では計画経済を実践、さらに帰国後は東条内閣の下で国家総動員体制を進め、敗戦後はA級戦犯となるも不起訴となり、保守合同を経て首相となり、60年安保では左翼の過激なデモに屈せず信念を貫いたという、岸信介の生涯は、日本の昭和史そのものであり、これだけスケールの大きな政治家は日本が平和を維持している限り、今後現れることはないでしょう。

安倍政権は、久し振りの長期安定政権となることは確実でしょう。安倍首相には、オリンピック開催という大きな国家プロジェクトの中で、この国の目指すべき方向を指し示し、失われた20年から新たな成長ステージへと飛躍させて欲しいと期待しています。その中では、経済問題だけではなく、これまで先送りしてきた憲法や安全保障、歴史認識の問題についても正面から取り組み、日本が国際社会の中で正当な地位を占められるよう頑張っていただきたいと思います。



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経済界と文学界の重鎮が語る人生論-『何のために生きるのか』


何のために生きるのか?

誰もがこうした疑問を持ったことは一度や二度ではないと思います。そこに論理的な答なんてなくて、何を信じるかで「生きる目的」というものは決まってくるのではないでしょうか。でも良く考えてみると、こうした疑問を持てること自体、恵まれた環境にいるのかもしれません。

本書では稲盛和夫氏と五木寛之氏との対談という形態で話は進んでいきますが、お二人はともに昭和7年生まれということで、幼少時代にとても苦労されています。とにかく生きるために必死で、大人が動けないときには親兄弟を守るためには子供が働かなくてはいけないという環境は、苦労こそあれ、悲惨なものだとは思わないと断言されています。インドや東南アジアの子供たちはとても貧しくとも、目がきらきらと光っているのに対して、今の日本の多くの子供たちは経済的には恵まれていますが、閉塞感の中で、目が曇っているように感じます。

稲盛氏はこう語っています。
今のお話をうかがっても、子どものころの苦労とか厳しい災難というのは、人間をつくってくれるのではないかという気がしますね。それに比べて、今みたいに豊かで、子どもを蝶よ花よと持ち上げて苦労させないというのは、ほんとは幸せじゃないのかもしれない。そういう感じがします。
また、今の日本社会では、いのちが軽くなっていて、その根本的な原因はこころが乾いていることろにあると五木氏は語っています。

今の日本では、人は簡単に自殺をしてしまい、また他人を殺してしまう時代になってしまいました。五木氏のいう「こころの乾き」を癒すのは道徳や宗教、倫理観といったものになると思いますが、そうしたものは教育の中から排除されてきました。ここでまた、稲盛氏の言葉を引用します。
家庭の問題、学校の問題、会社の問題、経営の問題と、これだけ目まぐるしく変化する社会ですから、こころに思うことは山ほどあります。ところが、生き方の規範を持たず、心が十分に整理されていないがために、会社からリストラされたというような予期せぬ事態に直面すると、必要以上に慌てふためいてしまいます。
昔の人は困難に直面しても見栄やこだわりを捨てて裸一貫でやり直すことができたかもしれませんが、今の人は、すぐに思いつめてしまって自ら命を絶ってしまう、とても不幸な時代になってしまったと思います。

僕自身も困難な問題が重なったときは精神的に辛い状態になることはありますが、そんなときに仏教に関する本を読むと、気持ちが整理されて楽になることがあります。辛いときというのは、考えなければならないことより考えても仕方のないことばかり考えてしまい、堂々巡りになって、挙句の果てに精神的に疲弊してしまうことになります。こうした悪循環からこころを解放するためには、仏教の「物事に執着しない思想」が僕にはしっくりきました。まだまだ不十分ではありますが、こころに一つのしっかりした軸を持ち、それ以外のものへの執着をなくすことができれば、どんな問題でもしっかりと受け止めることができるようになるのではないでしょうか。

人生の目的について、稲盛氏はこう語っています。
私の人生の目的は、死を迎えるときに、私の”たましい”がさらに磨かれて美しくなっているのかどうか。それだけが人生の目的だと思うものですから、あらためてこの人生のなかで自分のたましいを磨いていくことをしようと思っているんです。 
運命というのはこころによって変えられると思っているのです。そのこころが信念にまで高まったものであれば、それによって運命は変えられる。
こころの持ち方で人生は変わってきます。本書をきっかけに、自分なりの人生哲学を模索してはいかがでしょうか?



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2013年9月6日金曜日

消費税増税を主張する新聞のエゴ

来年4月からの消費税増税に向けて、環境整備が進んでいます。賛否両論ありますが、そもそも消費税の増税はけしからんという意見、現状で増税すれば景気にマイナスだという意見、増税を先送りすれば国債が暴落して、金利が高騰するという意見の3つに大別されます。

僕自身は、決めたことはやるべきであり、少なくとも今の景気は野田政権で増税を決めたときよりは好転しているので、先送りをする理由にはならないと考えています。

ところで、なぜか新聞は軽減税率を適用すべきと主張しています。日経新聞なんかは、消費税増税を先送りするなと主張してきていましたが、今日の朝刊には、「新聞に軽減税率適用を」とする日本新聞協会会長の諮問機関の研究会意見書の要旨を掲載していました。

その理由が、「新聞は衣食住に次ぐ必需品だ」とか、「新聞購読率の低下が、日本の誇るべき文化や民主政治を後退させるとの懸念もある」などという、荒唐無稽なものです。こんな理由を見て、新聞業界以外誰が納得するでしょうか?

このように、世間の常識と新聞業界の意識に大きなギャップがあるからこそ、新聞離れが進んでいるのではないかと思います。とにかく今日は、新聞の紙面を業界のエゴのために割いているのを見て、とても腹が立ちました。


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2013年9月5日木曜日

マーケットにおける「ジブリの法則」

マーケットでは、アメリカの雇用統計が発表される第一金曜日の夜にジブリ作品がテレビで放映されると、統計の数字が市場予想を下回り、その結果、ドルが売られて円高ドル安になって株価が乱高下氏やするなるという「ジブリの法則」というものがあるようです。この言葉を今日はじめて知りました。

2010年以降の実績を見ると的中率は90%というから驚きですが、正直、アメリカの雇用統計とジブリ作品という何の関連性もないものを結び付けてそこに因果関係を認めるのに何の合理性もないと思います。まあ、ゲン担ぎのようなものでしょうが、マーケットは常に合理的に動くとは限らず、むしろ皆がどう思うかで動いてしまうものなので、「ジブリの法則」を皆が信じれば、本当にマーケットに波乱が起るのかもしれません。

今週末の場合、「ジブリの法則」以上に重要なポイントは、2020年の五輪開催地の決定でしょう。これで東京に決まるかどうかで、株価は大きく変動するはずです。株価は5月23日の暴落以来、上昇の勢いを失っており、何かネガティブなきっかけがあると、売りが仕掛けられやすい環境にあるのではないかと思います。もちろん個人的には是非東京に決まって欲しいと思っていますが、東京が落選した場合は、一時的には大きく株価が下がる可能性があります。


「ジブリの法則」に戦々恐々 第1金曜にTV放映、円高・株安…的中率9割(Sankei Biz)



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採用面接をして感じたこと

これまで新卒採用の面接を銀行員時代と今の会社で何度かやったことがあります。それぞれ時代や業種は違いますが、どちらでも感じたことは、学生の話がほとんど定型化されていて何人かの面接を連続してやると本当に飽きてくるということです。

もちろん本人はこれからの人生を賭けて真剣に取り組んでいるんだと思いますが、マニュアルに縛られすぎて、努力する方向を間違っているのではないかと感じます。もちろん自分の性格ややりたいこと、業界研究を総合して、いろんなストーリーを組み立てて面接に臨むのだと思いますが、例えば大学時代にやっていたことを聞けば、皆サークルかバイトでいかにリーダーシップを発揮したかといった話ばかりで、勉強の話は聞いたことなんてありません。自分の長所と短所といった自己分析について質問すれば、マニュアルどおりに短所の説明の中でも必ずそれが長所や個性と受け取れるような説明をしてきます。

そうなってくると、あえてマニュアル本などを研究していない学生の方が、一見プレゼン能力は低くても新鮮に感じてしまいます。だから、あまりマニュアルに縛られず、自分の個性をぶつけてダメなら縁のない会社だと割り切って、無理に自分を演じない方がかえってうまくいくと思います。それ以上に大切なことは、まずそれまでの人生をどれだけ問題意識を持ちながら充実した時間を過ごしてきたかということです。充実した時間を過ごしていれば、テクニックではなく自ずと自分の言葉で語れることがあるでしょう。

さらに言えば、学生時代に知ることのできる企業の数なんて、たかが知れています。連続して不採用となると精神的には凹むと思いますが、とにかくどこかの会社にすべりこんで社会人になれば、キャリアアップのチャンスはいくらでもあります。中途採用なんて、急に人が必要になったときは、それこそ猫の手も借りたいくらいの勢いで採用したりすることもありますので(大企業ではそんなことはないのかもしれませんが)。



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2013年9月4日水曜日

「敗戦処理」はエースの仕事である-『衆愚の病理』

里見清一氏の著書『衆愚の病理』は面白い本です。著書は三井記念病院呼吸器内科科長という立場にありながら、医療を超えて広く社会問題に対して、時にはユーモアを交えながらも本音で痛烈な批判をしています。著者の主張のすべてに賛同できないまでも、社会的地位がありながらこれだけ批判を恐れずズバズバと言いたいことを主張できるという姿勢は素晴らしいと思います。

そんな中で、この本の第一章の「『敗戦処理』はエースの仕事である」はとても考えさせられる内容でしたので、紹介したいと思います。

まず、福島の原発事故に対して、ただ東電を非難したり、脱原発を主張したりする人達に対して、著者は痛烈な批判をしています。
私には、東電を今「批判」している人たちの中で、本当のその資格があるのはごく一握りではないかと思える。 
今、起こってしまったことを悔やみつつ、「敗戦処理」のための具体策を、あえていえば東電と一緒に呻吟している人たちだけが本物である。東電のコマーシャルに出た芸能人に至るまで戦犯扱いして、ただあいつも悪いこいつも悪いと言っているだけの奴は黙るべきである。もしくは一人で壁に向かって呪っていればよい。
原発事故の処理という敗戦処理は長期に亘る困難なものであり、脱原発を主張する場合、この敗戦処理の担い手の確保が非常に困難になります。
もちろん事故を起こした原発の処分ははるかに困難であり、おそらくは数十年単位の時間がかかる「敗戦処理」である。誰がこれをやるのか。 
何十年か先には消えてなくなる産業の後始末を進んでやろうという若者(これから大学に進もうという人間にとっては、働き盛りでその仕事が消滅することになる)がいるのか。 
脱原発とは、積極的に技術や資金を注ぎ込んで行う事業である。原発なくなれ、と言ったら勝手に向こうが消滅してくれるものではない。
ここがこの本の特徴でもあり、面白いところですが、話が脱線したところで著者の本音が随所に出てきます。
福島原発事故で最も口惜しかったことの一つは、中国に汚染国呼ばわりされたことである。(中略)お前らだけには言われたくない、と思ったのは私だけではなかろう。 
菅元首相は、その昔薬害エイズ問題で厚生省の責任を明らかにして謝罪したことも最大の業績にしているが、そもそも自分がやったことではないことを謝るのは気が楽である。それによって、おのれは良心的であることもアピールできる。私は別にあの決断自体をどうこう言うのではないが、ああいう、どう転んでも自分には傷がつかないことをその後の「売り」にする了見は、やはり卑しいと思う。 
そうした「敗軍の将、兵を語らず」の姿勢は、その実凡庸な頭脳が思考停止に陥っているだけ(思考停止する側はむしろラクになるであろう)の可能性が高いにもかかわらず、傍目からもまた当事者自身も「潔い」と勘違いしがちなところが、また余計に厄介である。
この後、医療問題についても、人間の死=敗戦と捉えると、医療の大部分は敗戦処理であり、病気を治す医者が格上で、患者の最期を看取る医者が格下と捉える風潮があると書かれています。さらにそこから終末医療の在り方や安楽死について問題を提起しています。

敗戦処理に関して言えば、誰もやりたがらない仕事でありながら、ここでの処理を誤ると大きな被害、損失が生じかねない重要な仕事です。だからこそエース級の有能な人材を充てる必要がありますし、同時にそのモチベーションを維持するための方策が必要となります。

福島原発事故に関しても、東電の幹部はともかく、東電の職員に方々に対しては気の毒にすらなります。もちろん、それ以上に福島で避難生活を送っている人は苦労しているという意見もあるでしょうが、今後ずっと給料は上がらず、ボーナスは出ず、世間からは冷たい視線を浴び続けなければならないとすれば、誰が東電で真面目に働こうと思うでしょうか?こうした東電批判の背景には、これまで殿様商売をしていて待遇が良かったことに対するひがみややっかみがあるんじゃないかと思ってしまいます。

敗戦処理の問題はこの本の一部でしかありませんが、中には民主主義を一時棚上げして政権を天皇陛下と自衛隊に託すべき、という突拍子もない提言もあるものの、建前論を排して本音で社会問題や医療問題について考えていて、一読の価値のある本だと思います。





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2013年9月3日火曜日

今の仕事に疑問を感じたときに読む本

以前、会社で1、2年目くらいの若手社員向けの研修で、キャリアプランについて語るコマを担当していたことがありました。そのときに強調していたのが、「最初の3年間は余計なことを考えずに、とにかく目の前の仕事をバカになってやり切れ。」ということです。

特に社会人になったばかりの時期は、批判的精神を持って冷めた目で仕事に取り組むより、バカになって何も考えずに目の前のことに没頭する方が、社会人として成長する、というのが僕の実感です。

就職活動中は限られた情報の中で、自分で勝手にイメージを膨らませがちですが、いざ社会人になるとイメージと現実とのギャップに失望してしまうかもしれません。そこで思っていたものと違うと考えてすぐに転職するのも一つの考え方かもしれませんが、僕はせっかく縁あって入社した会社から何も学ばずに辞めてしまっては、それまでの時間が全く無駄になってしまうと考えてしまいます。

将来どんな経験が役に立つのかなんてわからないわけですから、若いうちは遠回りに見えることでもやってみると思わぬところでその経験が役に立つことがあるかもしれません。経験を活かすかどうかは自分次第なのです。

SBIホールディングスCEOの北尾吉孝氏の著書、『何のために働くのか』の中に丁度いい言葉がありますので紹介します。
もし本気で自分の天職を見つけたいという気持ちがあるのなら、まず与えられた仕事を素直に受け入れることです。そして、熱意と強い意思を持って、一心不乱にそれを続けていく覚悟が必要だと思います。
僕自身も若手と呼ばれていた時期は、こんなはずじゃないと思い、毎日悶々としながら仕事をしていましたが、今考えれば、どんなにつまらない仕事でも問題意識を持って取り組めば、将来役立つ経験になるということがわかります。

今の仕事に疑問を感じたときに、この本を読んだ上で自分の天職について考えてみてはどうでしょうか?



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2013年9月1日日曜日

解決済みの問題を蒸し返す韓国の厚顔無恥-戦時徴用賠償問題

戦時中に朝鮮半島から徴用された韓国人らが新日鉄住金ら日本企業に賠償を求めている問題について、先日韓国の高等裁判所が賠償を命じる判決を下しました。これに勢いづいた韓国人は、他の日本企業に対しても次々と賠償を求めて提訴する動きがあるようです。

新日鉄住金側は上告し、最高裁で争われることになりますが、このままいけば日本側が敗訴する可能性が高いようです。

こうした賠償問題は昭和40年に締結された日韓基本条約の付属文書である日韓請求権・経済協力協定で解決済みです。日本はその対価として、韓国に残してきた資産を放棄し、さらに無償供与3億ドル、優勝供与2億ドルの経済支援を約束しています。

反日であれば何でも正当化され、おそよ近代法の論理が通用しない韓国は、果たして近代国家と言えるのでしょうか?

もっとも韓国でどんな判決が出ようが、日本国内の資産に対して強制執行できるわけではないですから無視しておけば良いのでしょうが、韓国に進出している日本企業の在韓拠点に対して何らかの影響が及ぶのかもしれません。そう考えると、韓国は中国並みにカントリーリスクのある国だということになります。

安倍政権は、日本企業の賠償が最高裁で確定した場合は国際司法裁判所へ提訴し、韓国での判決の不当さを国際社会に訴えるようですが、そんな悠長なことをせず、韓国の司法のあり方について今の段階から国として強く非難するべきでしょう。

提訴している韓国人も提訴する相手は日本企業ではなく、韓国政府だということを理解するべきです。日本からの経済支援を国民に還元しなかったのは韓国政府なのですから。まともな論理の通用しない国にいくら言っても無駄なのでしょうが。

韓国の戦時徴用賠償問題 「日本側に瑕疵ない」 政府、国際司法裁へ提訴も(産経新聞)

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軽く流して読むのにちょうどいい「タモリ論」

笑っていいとも!が始まってもう30年以上になるんですね。

番組が始まった頃は、それまでのタモリのイメージって、どちらかというと深夜番組が似合いそうなちょっとアナーキーな感じだったので、昼の番組ってどうなのかなって、子供心ながらに思った記憶があります。

それが日本のお昼の顔として不動の地位を占め、お笑いのBIG3と呼ばれながらも、「たけし」や「さんま」と違い、いまひとつ強烈な個性が見えてこない「タモリ」という存在を、これまであまり意識をしてきたことはありませんでした。

この「タモリ論」という本は、著者がタモリへの「愛」「リスペクト」を好き勝手書いたもので、「論」というほど高尚なものではありませんが、今まであまり考えてもみなかった「タモリ」という存在の不思議さを気付かせてくれた、ぼくにとってはちょっと変わった本でした。

著者の言葉をかれれば、タモリが30年間お昼の生放送の司会を務めて気が狂わないのは、自分にも他人にも何ひとつ期待をしていないから、ということになります。そのため、著者は「タモリ=絶望大王」と呼んでいます。

また、赤塚不二夫氏の告別式でタモリが読み上げた弔辞が紹介されていましたが、とても感動的でした。タモリが芸能界に入るきっかけとなったのも赤塚不二夫氏からの誘いだったんですね。

また、吉田修一氏の『パレード』から、「わらっていいとも!」についての鋭い考察を引用しています。
「笑っていいとも!」ってやっぱりすごいと思う。一時間も見ていたのに、テレビを消した途端、誰が何を喋り、何をやっていたのか、まったく思い出せなくなってしまう。「身にならない」っていうのは、きっとこういうことなんだ。
日常の興味と違ったものに触れるという点では、こんな本もたまにはいいかなと思います。



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ナベツネ氏によるポピュリズム批判


ナベツネこと渡邉恒雄氏に対して、あまり良いイメージを持っている人はいないでしょう。メディアに登場すると不遜な態度で言いたい放題、裏では政治を動かすフィクサーといった印象が強いのではないかと思います。

この本は、ナベツネ氏による政治評論で、ポピュリズムを徹底して批判しています。当人に対する好き嫌いは別として、長年政治記者をしていただけあって、その文章は論理的に明快で、氏の教養の深さが窺われます。読売新聞のドンという立場を考えると、少々首を傾げたくなる主張もありますが、全体としては非常に質の高い政治評論だと思いますので、少し紹介します。

政治が何故、これほどまでに混沌としてしまったのか。その答えはポピュリズム、大衆迎合政治の蔓延にあると考える。 
私が見る限り、日本の国会議員は小選挙区制によって相当程度堕落してしまった。そもそも、現行の小選挙区には、例えば東京都の大田区や世田谷区のように、区議選の選挙区よりも小さいところがある。国会議員の選挙区が区議よりも小さいなんて馬鹿な話はない。
しかも、小さな選挙区で過半数を獲得するために、大衆受けしそうなことだけを言っておけばいいという風潮が政治家の間に広がってしまった。
確かに選挙区が細分化され、その中から一人しか当選しないとなると、天下国家を論じるより地元密着になり、しかもそのときのブームに乗った主張しかできなくなります。

どうしてこんなぶざまな政治になってしまったのだ。その一つの大きな転機が、小泉純一郎首相の登場だったように思う。 
小泉さんの政治スタイルは、いわゆるワンフレーズ・ポリティクス、「改革なくして成長なし」や「自民党をぶっ壊す」が典型的な例だが、国民大衆にわかりやすい印象的なフレーズを言うだけである。 
ポピュリズム政治に先鞭をつけたのが小泉純一郎首相だとすれば、さらにそれを推し進めて、正真正銘の大衆迎合政治を作り出してしまったのは、鳩山・管政権下の民主党である。 
例えば、民主党マニフェストにある「コンクリートから人へ」というスローガンだ。
悪しき民主党のスローガンはほかにもある。「脱官僚」と「政治主導」である。官僚を叩いて国民大衆の喝采を浴びよう、という魂胆がありありで、まさにポピュリズムの典型だ。 
それにしても、脱官僚・政治主導のスローガンは、日本の社会を本当におかしなものにしてしまった。このせいで、日本の頭脳集団といわれた霞ヶ関の官僚たちが、いかに正論を唱えても、その中身をじっくり吟味することなく、「官僚が言うことだから」という形式だけで忌避されてしまう風潮を作り出したからである。 
政治家でも学者でも、消費税増税の必要性を説けば「財務省に毒されている」といわれるし、原発再稼動を唱えれば、経済産業省とつるむ「原子力ムラ」の一味呼ばわりされる。これではまともな議論などできるはずがない。 
魔女狩りにも似た風潮を作り、ポピュリズムを一気に蔓延させた民主党の罪はきわめて重い。
テレビの映像とワンフレーズを組み合わせると、複雑なテーマも十分な議論がなされることなく、印象操作によって国民世論が形成されてしまいます。郵政民営化はその象徴でしたが、このとき小泉政権を支持した国民のどれだけが郵政民営化について理解していたでしょうか?

脱原発か否か、増税すべきか否か、TPPに参加すべきか否かといった議論は、本来であれば論点が多岐にわたり、それぞれメリット、デメリットを十分に比較検討しなければ結論を出せる話ではないですが、原発=悪、増税=悪、TPP=悪、といった印象をメディアの印象操作で植え付けられています。

また、この本では2007年に渡邉氏が画策した民主・自民の大連立構想についても語っています。こうした動きに対して、「密室政治」「談合政治」と批判する声もありましたが、ぼくはすべてを透明にすることなんてあり得ないし、大切なのはその結果だと思っていますので、こうした活動も必要だと思っています。

さらに、渡邉氏は大衆社会とメディアによる煽動について次のように論じています。
「大衆社会」が、十九世紀の社会形態と区別して認識されるのは、資本主義の発達とともに、機械技術が進歩し、生産力が飛躍的に増大し、産業組織が大規模に合理化された反面、人間が無定形名集合の中にほうり出され、人間と人間とを結びつけていた中世的な第一次的な絆が切断され、孤独や不安や無力感にとらわれる結果、非合理性を生み、衝動的、激情的な正確を濃くして来たからである。 
こうして、一方で、不安で孤独で、衝動的になっている大衆層の増大があり、他方で、少数者の掌中にいよいよ集中する高度の近代技術によって、管理組織は巨大化して、多数の大衆を自由に動かす機構組織が発達し、発達したマス・メディアは、不安で無力感にとらわれた大衆を支配し、操作するためのきわめて有効な手段となっている。 
この「改革派」という言葉が飛び出したときは特に気をつけたほうがよい。九〇年代の政治改革論議のときは「守旧派」、小泉時代は「抵抗勢力」というように、相手にレッテルを貼って真に必要な議論を封じるのは、大衆を煽動するデマゴーグの常套手段である。
新聞社のトップとして、テレビやネットといった競合するメディアに対しては次のように論じています。
 テレビニュースは優れた新聞の代わりにはらならないということである。国民がニュースの情報源をもっぱらテレビに依存するようになれば、民主主義の屋台骨が危うくなると言っても過言ではない。ニュースの対象としての人物や場所を動く映像で見せることができるという点で、テレビは他のメディアを寄せ付けない。しかし同時にテレビは、今の時代が直面している複雑な問題の輪郭を示しその全体像を説明するという点は不得手である。 
「もう一つ心配なのが、大衆社会がより悪くなることだ。ブログやツイッターの普及により、知的訓練を受けていない人が発信する楽しみを覚えた。これが新聞や本の軽視につながり、『責任を持って情報を選択する編集』が弱くなれば、国民の知的低下を招き、関心の範囲を狭くしてしまう。ネット時代にあっても、責任あるマスコミが権威を持つ社会にしていく必要がある。」(2011年1月10日付読売新聞朝刊)
 氏の主張に対しては賛否両論あると思いますし、読売新聞の自己弁護と言える部分もありますが、読売新聞のドンではなく、一人の政治評論家による政治評論と考えると、結構鋭いことを言っていますし、なかなか勉強になりますので、先入観を持たずに一読されることをおすすめします。



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