2013年8月31日土曜日

1970年代から現代の日本に警鐘を鳴らした本です


この「日本の自殺」という本は、1975年に『文芸春秋』に収められた論文に解説を付けたものです。当時の日本はまだ高度成長による繁栄に沸き立っていた時期だと思いますが、この本は古代ローマの没落の原因から、当時の日本社会が内部的な要因によって自壊しつつあると警鐘を鳴らしています。そこで指摘されている問題点は、今読んでみても新鮮であり、本質的な解決がなされないまま、事態が悪化しつつあることがわかります。正直、はじめて読んだときはあまりにも現在の日本の状況を的確に予測したものであり、衝撃を受けました。もともとは1980年代の日本を念頭に置いて書かれたものだと思われますが、現在の日本が抱える問題の本質を理解する上ではとても参考になります。

まず、ここで分析のフレームワークとして援用されているのがトインビーの文明論ですが、本書の冒頭は、このような言葉で始まっています。
諸文明の没落の原因を探り求めて、われわれの到達した結論は、あらゆる文明が外からの攻撃によってではなく、内部からの社会的崩壊によって破滅するという基本的命題であった。
次に、本書で指摘されている古代ローマの没落の原因を要約してみると次のようになります。
①ローマ市民は、次第に欲望を肥大化させ、労働を忘れて消費と娯楽レジャーに明け暮れるようになり、節度を失って放縦と堕落への道を歩みはじめた。 
②人口の膨張により市民団のコミュニティを崩壊し、一種の「大衆社会化状況」が古代都市ローマの内部に発生し、急速に拡大していった。 
③経済的の没落したローマ市民が「パンとサーカス」を要求するようになった。さらに、無償で「パンとサーカス」の供給を受け、権利を主張するが責任や義務を負うことを忘れたことで、恐るべき精神的、道徳的退廃と衰弱を開始した。 
④市民大衆が際限なく無償の「パンとサーカス」を要求し続けることで、経済はインフレーションからスダグフレーションへ進んでいった。 
⑤エゴの氾濫と悪平等主義の流行によって、衆愚政治に陥っていった。
今の日本を見ると、約20年間にわたるデフレに苦しんできたので、インフレの心配はあまりないようにも思えますが、財政政策による景気対策を重ねる中で日本の財政状況は急速に悪化し、社会保障制度は破綻しつつあります。そうした意味では、「パンとサーカス」という福祉政策によって、日本が経済的に自壊しつつあるという危機感は古代ローマと共通しているとも言えます。

しかし、経済的な問題以上に問題なのは、精神的退廃ではないでしょうか。本書の中で次のように指摘しています。
こうして、自制心、克己心、忍耐力、持続力のない青少年が大量生産され、さらには、強靭なる意志力、論理的思考能力、創造性、豊かな感受性、責任感などを欠いた過保護に甘えた欠陥青少年が大量に発生することとなった。
このように、戦後日本の繁栄は、他方でひとびとの欲求不満とストレスを増大させ、日本人の精神状態を非常に不安定で無気力、無感動、無責任なものに変質させてしまった。それはまた伝統文化を破壊することを通じて日本人のコア・パーソナリティを崩壊させ、倫理観を麻痺させ、日本人の精神生活を破壊してしまった。この生活様式の崩壊と日本人の内的世界の荒廃は、日本社会の自壊作用のメカニズムの基礎をなしていったといわねばならない。 
現代人にみられるこの思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化傾向は、一体なにによってもたらされたのであろうか。実に憂慮すべきことに、驚くべき技術の発達、物質的豊かさの増大、都市化、情報化の進展と教育の普及など高度現代文明がもたらした恩恵それ自体が、このような精神状態を副作用として引き起こしていたのである。
 さらに、本書で指摘している情報化社会における情報汚染の拡大や教育におけるエリートの否定と悪平等主義といった問題も、十分今でも通用する内容であり、多くの示唆を与えてくれます。

社会の幼児化というテーマでは榊原英資氏の「幼児化する日本社会」も参考になりますので、本書とあわせて読まれることをおすすめします。



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2013年8月29日木曜日

国連事務総長の発言を簡単に許すべきではないでしょう

国連の潘基文事務総長が26日のソウルでの会見で安倍政権の歴史認識を批判したことが問題となっています。潘事務総長がすぐに釈明し、菅官房長官はこれを受け入れる旨を表明したことで、事態は収拾しましたが、このことで大きな問題が明らかになりました。

韓国は竹島を実効支配し、従軍慰安婦の強制連行を捏造して慰安婦の像を広めようとし、日本海を東海と表記させようと世界中でロビー活動を行っています。そのような国から国連事務総長が選ばれ、当人が中立性の自覚が希薄で、自国の国益に沿った偏った発言を平気でしてしまうとなると、国際社会における日本の立場が非常に危うくなり、日本の国益が韓国によってどんどん損なわれていくことになります。

「国連の中立性」とは言っても、虚構に過ぎない面はありますが、それでも一定の節度は求められてしかるべきです。菅官房長官は今回の件では大人の対応をしましたが、このような偏向した国連事務総長をもっと徹底して非難すべきだったのではないかと感じます。さらに言えば、日本ではいまだに世界で第2位の国連分担金を拠出しています。それだけの負担をしていながら、国連が日本の国益を損なうような機関であれば、分担金の額を削減すると主張するべきでしょう。

韓国は日本の隣国ではあっても友好国ではありません。そんな国が国際機関の重要なポストを確保することが日本の国益にとってどれだけマイナスか、改めて認識する必要があります。




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2013年8月24日土曜日

いつも見出しだけが踊る優遇税制の議論-投資減税について

政府が今秋の成長戦略第2弾の投資減税の目玉の一つとして、企業の設備投資の一定額を法人税から差し引く「税額控除」の導入が検討されているようです。税額控除の期間は5年、控除できる税額は設備投資額の3%となる見通しだそうです。

これを見て、「今秋の成長戦略第2弾の投資減税の目玉」としてはあまりに小粒じゃないかと感じたのは僕だけでしょうか?

確かに、もともと設備投資を考えていた企業からすればメリットがあると思いますが、設備投資の意思決定においてどれだけの影響があるかは疑問です。つまり、投資を誘発する効果としては極めて薄いとしか考えられません。そもそも財政再建のためにいろいろ問題点を指摘されていながら消費税を増税しようとしているのですから、財務省が大盤振る舞いをするわけはありません。結局「見出し」だけが踊ることになるのは確実でしょう。

企業が設備投資をする上でまず考えることはそこから生まれる収益であり、投資にかかるコストです。税金が減るからまず設備投資をしようと考える人はいないでしょう。設備投資を増やしたければ、国としてできることはまず規制緩和で新しい市場が生まれるのを後押しすることでないでしょうか?小手先の税制改正だけでできることは限られています。

つい先日には、旅館、ホテルで固定資産税を減税する話が出ていました。内容は建物の経過年数を50年から40年にしようというような話でしたが、これもせこい話だと思います。地方で経営の苦しい旅館などは、バブル期の過大投資のせいで固定資産税評価額40億円のものが売買では数億円程度の評価となるケースもあります。こうした売買で問題となるのが固定資産税負担の重さに加え、登録免許税や不動産取得税といった売買にかかってくる税金です。これらの税金もすべて固定資産税評価額に連動していますので、どうせやるならこの固定資産税評価額を収益還元法に基づく時価に評価替えをするくらいのことがなければインパクトはありません。地方の旅館、ホテルの再生のためならこれくらい思い切ったことをすれば、赤字が黒字になって追加投資ができるようになったり、より資金力のある会社が買って大々的にリニューアル投資をすることも期待できます。

優遇税制は小さなところで帳尻を合わせようとして、本来の目的に対してあまり意味のないものになりがちですので、安倍首相にはもっと思い切った成長戦略と連動する投資減税を期待したいと思います。

投資減税 3%の税額控除を検討 政府、現在より条件緩和



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2013年8月23日金曜日

「競争と公平感」


この本は、日本人の資本主義及び競争と格差に対する感じ方の特徴に始まり、雇用、格差、貧困といった社会問題について、経済学的見地から分析し、問題の本質を明らかにしようとしています。

こうした社会問題に対しては、個別事例を強調した報道により、情緒的、感情的な議論が蔓延し、政治家も問題の本質に取り組まず、大衆迎合的かつ近視眼的な対応で世論の支持を集めようとしてきた。

しかし、例えば雇用問題のように、規制強化による雇用保障や最低賃金の引き上げが、かえって雇用の選別を強め、二極化を助長することになり、政策目標と逆の効果を招いてしまうということが、経済学的には明らかであるにもかかわらず、政策レベルではこうした誤ったことが実行されています。

この本を読んでいくと、社会的問題を分析し、解決策を模索していく上で、経済学がいかに有効であるかを改めて認識させられました。以下、気になった部分を引用します。

具体的には、十八歳から二十五歳の頃、つまり、高校や大学を卒業してしばらくの間に、不況を経験するかどうかが、その世代の価値観に大きな影響を与えるというのだ。この年齢層の頃に不況を経験した人は、「人生の成功は努力より運による」と思い、「政府による再分配を支持する」が、「公的な機関に対する信頼をもたない」、という傾向があるそうだ。 
非正規雇用者が増えることが、二つの問題をもたらす。第一に、「男の非正規」の増加による貧困問題である。第二に、非正規雇用者に対する訓練量が少ないことから発生する将来の日本の生産性の低下である。 
胎児の期間の栄養状態が悪いと、代謝のメカニズムがその環境に応じてプログラムされて生まれてくるというのがバーガー教授の主張だ。つまり、胎児期における栄養が少ないと、飢餓状態に耐えるために、体内に脂肪を蓄積しやすいように体質をプログラムするというのだ。ところが生まれてくると飢餓の世界ではなく、飽食の世界だ。飢餓に備えて作られた体質は、飽食の環境では、肥満に象徴されるメタボリック症候群をもたらしてしまう。 
実は、バローとマッキナリーという二人の研究者が、国際比較データを用いて、国による各宗派の比率の差や宗教的な価値観の差が経済成長に与える影響を分析している。この結果によれば、天国や地獄といった死後の世界の存在を信じる人の比率の高い国ほど経済成長率が高い一方、教会に熱心に行く人の比率の高い国ほど経済成長率が低いという。つまり、宗教的な価値観が人々の行動に影響を与え、生産性に影響している可能性があるのだ。 
所得格差の拡大の多くは、人口構成の高齢化で説明できる。しかし、生活水準の格差を示す消費の格差は五十歳以下の年齢層で拡大する傾向にある。(『日本の不平等』)。なぜ消費と所得で格差の推移に違いがでるのだろうか。消費を決定するのは現在の所得だけでなく、将来の所得と現在の資産も影響を与えるからだ。資産格差や将来の所得格差が拡大すると現在の消費の格差が拡大する。所得税の累進度の低下も可処分所得の格差を拡大させ、消費格差を拡大する要因になる。 
日本人は「選択や努力」以外の生まれつきの才能や学歴、運などの要因で所得格差が発生することを嫌うため、そのような理由で格差が発生したと感じると、実際のデータで格差が発生している以上に「格差感」を感じると考えられる。また、日本の経営者の所得がアメリカのように高額にならないのは「努力」を重視する社会きはんがあるためかもしれない。一方、学歴格差や才能による格差を容認し、機会均等を信じている人が多いアメリカでは、実際に所得格差が拡大していても「格差感」を抱かない。こうしたことが、日米における格差問題の受け止め方の違いの理由ではないだろうか。つまり、所得格差の決定要因のあるべき姿に関する価値観と実際の格差の決定要因戸に乖離が生じた時に、人々は格差感をもつのだろう。 
高齢者にとって、自分とは直接は関係ない教育費に支出されるよりも、年金や医療の充実をしてもらうほうがありがたい。教育水準の低下によって、将来の日本の生産性は大きく低下することになるが、多くの高齢者にとっては、そんな将来のことは関係ないかもしれない。しかし、それでは若者や将来世代は、たまったものではない。このような悪循環をどこかで止める必要がある。 
個別の規制強化は、より規制の弱い雇用形態への移転を生み出すだけで、絞り込まれた正社員は一向に増加しないのだ。パートへの規制が強化されれば派遣へ、派遣規制が強化されれば請負へ、請負への規制を強化すればヨーロッパで見られるような個人事業主との請負契約というかたちを模索するというように、抜け穴探しは永遠に続くことになる。機械への代替や労務コストの安い海外への移転を通じて雇用量そのものも減少していくだろう。 
最低賃金引き上げは、貧困解消手段として政治的にアピールしやすい。だがこの結果、一番被害を受けるおそれがあるのは、前述のとおりもっとも貧しい勤労者やこれから仕事に就こうとする若者・既婚女性だ。雇用者同士の賃金格差は縮小し、労働組合には、有効な格差是正策である。ただし、それは最低賃金の引き上げで職を失ったり、職を得られなかった人を排除した結果得られたものである。社会全体でみれば、最低賃金引き上げで職を失った人まで考えれば、格差はむしろ拡大することになる。


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2013年8月22日木曜日

自由に生きるための武器となるのが教養です-『武器としての決断思考』

この本は、ディベートの方法論からロジカルシンキングへと話をつなげ、自分の人生を自分で決める生き方、自由な生き方のために教養が必要であると主張しています。大学生向けの講義がベースとなっているため、具体的な題材が多く取り上げられていてわかりやすい反面、冗長なところもあります。ただ、そのため軽く読める内容ですので、モチベーションが低いときに読むとちょうど良い刺激になると思います。以下、気になった点を抜粋します。
最近、丸の内のビジネスマンが、「早朝ドラッカー勉強会」を開いている光景を何度か目撃しましたが、ドラッカーの『マネジメント』をみんなで穴の空くほど読み込んだところで、マネジメント能力が上がるなんてことはありません。 
厳しいことをいえば、そうやって得た「知識(資格)」を、なんらかの「判断」、そして「行動」につなげられなければ、なんの意味もないのです。
なかなか厳しい指摘ですが、正にその通りだと思います。本で得た知識を実践の中で使わなければ意味がありません。
「いろいろな意見があってよくわからないから、とりあえずそのままにしておこう」と問題を先送りすることがありますが、実は情報をコントロールするような人はそれが狙いだったりします。 
バカをよそおって、知らないフリをして、話全体を自分の知りたい方向性に持っていくのが、優秀なディベーターの条件になります。
なかなか、高等テクニックですね。ディベートの際には見習いたいものです。
どういう生き方を望むか―。
ずっと何かに頼って行く生き方を望むのか?
それとも、自分の人生は自分で決めるという、困難ではあるけど自由な生き方を望むのか?
後者を望むのであれば、ディベートをはじめとする一般教養は、あなたの大きな武器になるでしょう。
人間を自由にするのが、学問本来の姿なのです。
人生の中で自分で考えることの大切さを再認識しました。年を重ねるにつれて、教養のなさを痛感し、学生時代には軽視していた勉強をやり直したくなってきます。



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2013年8月20日火曜日

日韓関係を理解するために正しい歴史を学ぶ

韓国の屈折した反日感情は、あまりにばかげていてまともに相手にする気にもなれないことがありますが、国際社会においては主張すべき点は主張していかないと世界各地で慰安婦の少女像が建てられることになってしまいます。そうならないためには、まず日韓関係の歴史的事実を正しく理解し、誤った贖罪意識を棄てなければなりません。少し古い本ですが、韓国人の評論家である金完燮(キム・ワンソプ)の著書『親日派のための弁明』を紹介します。



この本は、李氏朝鮮末期からの朝鮮半島の歴史を紐解き、韓国の近代化のためには日韓併合が当時における最良の選択であり、またその手続きは全く合法的に行われたと主張してしています。日本でもまだまだ誤解があるようですが、日韓併合は武力によって日本が無理強いしたわけではなく、韓国から望まれて行ったものです。また、安重根に暗殺された伊藤博文は日韓併合には否定的な立場でしたが、何とも皮肉なものです。そんな思慮の浅いテロリストを英雄としている韓国の神経を疑います。
国益というものが支配者の利益ではなく住民の利益をさすとすれば、住民がより人間的な生活、質の高い生活を享受できるのであれば、国を失うか維持するかという命題はなんの意味もないのである。安重根や金九、あるいは金左鎭や洪範図という、かつての朝鮮の独立ゲリラは、プエルトリコの民族解放軍と似た存在だといえる。韓国併合は大多数の朝鮮人にとって喜ばしいことだった。 
私たち韓国人は歪曲された教育によって、しばしば乙巳条約と韓日併合が日本の強圧によって締結されたと教えられるが、事実はこれとまったくちがう。日本と合併することだけが朝鮮の文明開化と近代化を達成する唯一かつ最善の方策であると言う点については、当時朝鮮の改革勢力のあいだで暗黙の合意があったものと思われる。強力な世論に後押しされ、日本は合法的な手続きをふんで大韓帝国の統治権を接収したのである。
また、「日本海」の呼称や竹島問題について、次のように書かれています。
日本海はすでに長いあいだ国際社会で定着している表記であり、地理的にみても正当な名前である。なのに韓国政府はこれを東海だとごり押しして、世界各国の地図に記された「日本海」を「東海」に変えようと無意味な努力をつづけている。 
独島については、日本がこれを竹島という名前で島根県に属する固有の領土と主張しているのに、現在は勧告が実効的な占領状態におかれていて、独島周辺の海は日韓共同管理水域と指定されている。韓国政府は日本がアメリカ占領下で主権がなかったときに、独島を無断占拠していまだに自国の領土だといっているが、これは隣国が無力だったときに盗みをはたらくのとおなじ行為である。
ちなみにこの本は韓国で出版されたときには有害図書指定がされ、著者は名誉毀損で訴えられるなど迫害を受けています。日本で言論の自由が保障されているため、たとえ反日的な本であっても発禁になることはありませんが、韓国では言論の自由は保障されていません。先日韓国出身の呉善花さんが韓国への入国を拒否するという事件がありました。呉善花さんは歴史問題に関して韓国に対して厳しい立場で評論活動を行っていたことが原因のようです。この国をまともな民主主義国家と考えるのは間違いのようです。

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ダライ・ラマ14世の言葉から仏教の真髄を知る


この本は、前半部分はダライ・ラマ14世の「空の智慧」と題した講演録であり、後半部分は脳科学者の茂木健一郎氏との対談となっています。般若心経の解説本はこれまで何冊も読んできたことはありますが、なかなか「空」の概念を理解することができませんでした。この本に収められている講演は、般若心経の逐語解説ではなく、般若心経の教えそのものを、その背景となる思想から噛み砕いて解説されていたので、その分わかりやすかったです。気になった言葉を抜粋してみました。

そして、苦しみの因は外の世界にあるのではなく、自分自身の「行為」と「煩悩」であるため、苦しみを望まないのなら、苦しみの原因となっている自分の悪い行いと煩悩をなくさなければなりません。 
仏教ではこのような理由から、「煩悩をすべて断滅して、苦しみのない永続する幸せの境地に至ることができる」と言われているのです。 
二つの極端論の一つは、実在論であり、全ての対象物は実体を持って成立している真実の存在なので、永遠に変わることなく存在し続けている、という極端な考えのことを意味しています。そしてもう一つの極端論は、何も存在していない、と考える虚無論であり、この二つの極端な考えかたから離れて、どちらにも偏らない真ん中の道を行くのが「中観の見解」なのです。 
そこで、空を理解する目的は何かと言うと、そのような実体をつかむ心をなくすことにあるのです。実体をつかむ心が起きないようにするためには、自分の心が見ている対象物には固有の実体がないのだ、ということを理解し、そのような実体に心がとらわれないようにしなければなりません。 
このように、自分が執着したり、嫌悪したりしている対象はすべて、他の条件に依存して存在しているだけだということが理解できれば、全体的な見かたができるようになり、自分の考え方に大きな違いが出てきます。 
ある現象が存在するのか、しないのかは、それを見ている心に正しい認識があるときだけ決められることなのです。 
空とは、言葉として「空である」ということはできますが、空について心に確信を得るためには、否定対象を否定したときの空っぽの状態を思い浮かべるしかなく、これが空であると思う心を起すことはできません。 
そして、空について何度も考えて瞑想し、空の理解がある程度進んでくると、実態のない「私」、つまり「私」という単なる名前のみによって存在し、現れているだけの、幻のような「私」が心に現れてきます。このようなとき、「私」は実体のない存在として心に現れているのです。 
空を理解して、物質的な存在が究極的にはどのように存在しているのかを知ることによって、物質的な存在には実体がないことを理解すると、実体をつかむ心が起きてくることはなくなります。すると、間違った認識を持つことはなくなり、輪廻から自由になって、涅槃に至ることができるのです。 

こうした考え方を理解し、物事に執着しなくなれば、あらゆる苦しみから解放されるでしょう。もちろん、世俗においては物事に執着し努力することで成長、発展していく面もあります。ただ、それが行き過ぎると物質的豊かさの反面、精神的に病んでいき、何のための努力だったのかわからなくなってしまいます。だからこそ、時にはこうした「空」について考えてみるのが必要なのだと思います。


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2013年8月18日日曜日

「租税回避」について考えてみる

税金を減らす方法を、「節税」、「脱税」、「租税回避」の3つに分類することがあります。簡単に言えば、「節税」はシロ、「脱税」はクロ、「租税回避」はグレーということになります。

「節税」はもともと認められている特例や経理処理の方法を使うことなので、適用要件さえ誤らなければ問題になることはないでしょう。「脱税」は所得をごまかすためにウソをつくことなので犯罪になってしまいます。だから、これはやめましょう。それでは「租税回避」というのはどういうものかを簡単に説明します。

「租税回避」とは、学問的な定義はともかく、感覚的には、対象となる取引や経理処理の方法自体は合法的であっても、税金を不当に減らす目的以外に経済的合理性がない取引のことを指します。

例えば、法人が含み損を持っている土地を100%子会社に売っても、グループ法人税制が適用され、含み損は税務上繰り延べられることになるため、税務上は問題になりませんが、この土地を100%株主(個人)に売った場合は、グループ法人税制が適用されませんので、含み損が税務上実現することになります。土地を売った法人が黒字だった場合には税金を減らすことができます。

こうなると税務調査のときには、この土地売却の取引に合理性があったかどうかを調査官と争うことになります。売買契約書も取締役会議事録もあり、土地の鑑定評価を取っていれば、表面的には問題になりませんが、土地を買ったオーナー株主の買取資金が例えば土地を売った会社から貸し付けていた場合なんかは危ないかもしれません。調査官がこの取引を否認する法的根拠は「同族会社の行為計算の否認」ということになります。まあ、伝家の宝刀みたいなもので適用される例は少ないですが。

ここで挙げた例は単純なものですが、現実にはより複雑な手法を使って租税回避行為が行われているものと思います。取引そのものは合法的なものであれば、あとはどれだけ税金以外の点で経済合理性を説明できるかがミソになります。2011年2月に最高裁で判決が出た武富士事件では贈与税を巡る税務訴訟で元会長の長男が勝訴したことで話題になりましたが、その判決文の捕捉意見で次のような記述があります。
憲法30条は、国民は法律の定めるところによってのみ納税の義務を負うと規定し、同法84条は,課税の要件は法律に定められなければならないことを規定する。納税は国民に義務を課するものであるところからして、この租税法律主義の下で課税要件は明確なものでなければならず、これを規定する条文は厳格な解釈が要求されるのである。明確な根拠が認められないのに、安易に拡張解釈,類推解釈,権利濫用法理の適用などの特別の法解釈や特別の事実認定を行って、租税回避の否認をして課税することは許されないというべきである。
いいこと言っていますね。税務調査では時として安易な拡大解釈で否認しようとしてきますので、しっかり理論武装した上で、この判決文を根拠に戦っていく必要があります。

税務調査の受けるときの心構えを学ぶ


この本は「脱税のススメ」という刺激的なタイトルですが、中身は至ってまともな税務調査対策マニュアルです。税務調査を受けるにあたって準備しておくべきことや、調査官が見るべきポイントが、さすが元国税調査官だけあって、具体的に書かれています。

僕も、今の会社で税務調査の対応をしたことがありますが、通常の調査であれば、そんなに厳しいことはありません。それでも何も知らずに受けてしまうと、見せなくてもいいものまで見せて墓穴を掘ったり、変な顛末書のようなものを書かされて、それが証拠となってしまうこともあります。

調査官はこちらが素人と思えば、法で認められた範囲を超えていろいろ言ってきますし、それにこちらが応じたら、あくまで任意で応じたことになるので注意が必要です。この本でも、「おとなしいことが罪である」と書かれていますが、こちらが調査で応じなければならないギリギリのラインを知った上で反撃しないと、調査官にいいようにやられてしまうのが現実です。そうならないためには、顧問税理士を選ぶ上でも、税務署べったりで、これまで税務調査で指摘事項がひとつもなかった、というような税理士は避けるべきでしょう。

戦うための武器の第一歩として、敵を知り、世の中の仕組みを知っておくために、この本をおすすめします。



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2013年8月17日土曜日

新しいキャリアのあり方を考える

僕が社会人になったのが1995年。その当時はバブル経済が弾けた後で、それまで先送りしようとしてきた不良債権をようやく本格的に処理しようとし始めた頃で、大手銀行が始めて赤字決算をして話題になりました。

そこから今までを振り返ると、世の中が大きく変わってしまいました。もはや大企業に就職することは何の保証にもならない一方で、大学を卒業しても正社員になることがとても難しい時代になりました。世界の中での日本の経済的地位が低下していく中、経済のグローバル化が進み、日本人は日本国内での競争だけではなく、新興国の人達とも競争していかなければならなくなりました。国の財政は逼迫し、将来の年金も宛てにできず、60歳定年どころか、70歳を過ぎても収入を得ていかなければ生きていけなくなるかもしれません。

それだけ世の中が変わっているにもかかわらず、働き方やキャリアに対する意識を変えることができず、将来の不安を感じつつも現状にしがみつこうとしている人も多いのではないかと思います。普通は、変化することがリスクと考えがちですが、これだけ世の中が変化していると、変化しないことの方がリスクと言えるでしょう。

僕自身を振り返ると、大手銀行からキャリアをスタートし、30代のはじめまでは何度も転職を繰り返しながら、いろんな経験を積み、キャリアアップしてきたと自負していましたが、結婚し、子供ができ、責任が重くなるにつれて、転職への経済的ハードルが高くなってきたと感じます。今はそれなりに満足していても、このままでいいのかとふと考えてしまうことはあります。

そんなときに、ちきりんさんの『未来の働き方を考えよう』を手にしました。いわゆる「常識」から離れ、ゼロからキャリアを見つめなおすきっかけとして、この本はおすすめです。終章で紹介されている、自分オリジナルの人生を手に入れるための重要なステップを紹介します。
ステップ1.手に入れたい人生を明確にしよう! 
ステップ2.複数の将来シナリオをもとう! 
ステップ3.市場で稼ぐ力をつけよう!
 詳しくはこの本を読んでみてください。きっといろんな発見があります。



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「ブラック企業」の全てがブラックなのか?

最近「ブラック企業」というものが話題になっています。労働法規を無視し、長時間従業員を酷使し、理由をつけては給料を支払わなかったり、パワハラで従業員を精神的に潰してしまう企業のことを指しているようです。

こうした表現を使えばどんでもない企業であり、法的及び社会的制裁を受けるべきという批判が当然のように思えますが、現実には結構グレーゾーンがあったり、従業員側の言い分が一方的に報じられている面もあるのではないかと感じます。

例えば「サービス残業」という言葉をとっても、今の労働法規が現実を反映したものか疑問に感じます。工場のベルトコンベアで働くような場合は、時間で作業量が決まっているため、労働時間に応じて給料を支払われるべきであり、受付のようにそこにいること自体が仕事であればこれも労働時間に応じて給料を支払われるべきでしょう。でも、一般的な事務職の場合、人によって生産性の差は大きく、単純に労働時間で成果が変わってくるわけではありませんし、仕事ができない人ほど時間がかかって残業をし、結果としてできる人より給料をもらうということになってしまいます。

パワハラについても、昔であれば当然のようなことを言っても、最近の人達はストレス耐性が低く、すぐに「パワハラだ」と騒ぎ出すか、心身症になったと言って会社を休んでしまいます。そうなると「弱い」ことが正しいと言うのでしょうか?こうした風潮から、管理職の方が部下に気を遣いながら仕事をしなければならないというおかしなことが起ります。でもそんなぬるま湯で育てられた人材が、外の厳しい環境でまともに仕事ができるのかは疑問です。

もちろん、労働法規は法律であり、「悪法も法なり」ですから守らざるをえず、うちの会社もかつては8時50分から朝礼をやっていたのが、始業時間である9時からに変更されました。ばかばかしいと思いつつも、これが法律です。

コンプライアンスの名の下に「弱者」と呼ばれる人達が力を持ちました。企業は掲示板やツイッターなどで書かれれば、社会的に大きなダメージを受けることになりかねません。こうした「ブラック企業」叩きが行き過ぎるとどうなるでしょうか?結果的には雇用を抑えることになります。労働者を保護しようとすればするほどパイが小さくなるのが現実です。政治家のセンセイは企業を悪者にすれば話が簡単かもしれませんが、こうしたことも良くわかった上で政策を考えていただきたいと思います。



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2013年8月16日金曜日

何でも自分でやった方が早いと思っていませんか?


仕事をしているとついつい自分でやった方が早いと思って、部下に仕事を振らず、自分で抱え込んでしまうことがあります。特に急ぎの案件、重要な案件ほどその傾向があります。そうして気が付くといつも自分が最後まで残って仕事をしていて、部下達がみんな先に帰ってしまうことになります。

こんなやり方を続けていてはいかんとは思いながらも、いちから説明する余裕はないとか、なかなか使える人材がいないから仕方がないとか、自分の中で言い訳をしてしまいます。

自分の方が経験があり、仕事が出来ると思っていても、大きなことを成し遂げようとするには、やはり個人の力だけでは限界があり、チームとして一体となってメンバーの力をうまく引き出す必要があります。頭ではそうわかっていても、目先の成果に囚われ過ぎてしまって、単なる理想論として片付けてきました。

そんな中、本屋で目にしたのがこの『自分でやった方が早い病』です。なんとわかりやすいタイトルでしょうか。まさにこれだと思いました。読んでいくと、僕が目指していたのは「孤独な成功者」だということがわかりました。このままでは、部下はいつまでたっても育たないし、自分だけが成功しても、その喜びや達成感を分かち合う仲間がいないことになります。

仕事の進め方、部下との接し方を見直す上で、参考になる点がたくさんありました。



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2013年8月15日木曜日

「日本のいちばん長い夏」-30人の戦争体験から終戦を考える

今日は68回目の終戦記念日でした。そして68年前の夏、日本の命運がかかった暑い夏の体験を体験者が昭和38年に語った座談会をまとめたものが『日本のいちばん長い夏』です。そこでは戦争体験者30名の体験談が語られていますが、その中には吉田茂、迫水常久、志賀義雄、有馬頼義といった錚々たるメンバーも含まれています。こうした当時の責任ある立場にあった人物や社会的に影響力のあった人物が当事者として語っているところにこの本の価値があります。

この本では、ポツダム宣言を巡る混乱や対ソ和平工作の失敗、原爆投下、昭和天皇の終戦のご聖断とクーデターの阻止といった、終戦までの意思決定のプロセスがどのように進められたのかが、当時政府の中枢にいた当事者の口からリアルに語られていたのが印象的でした。

また、昭和天皇の玉音放送を、それぞれの立場、置かれた状況によって、捉え方が大きく違っていました。忸怩たる思いをした者、安堵感を持った者、ただ呆然とした者、冷静に受け止めた者、それぞれの立場からの経験談が交わされているからこそ、当時の状況を複眼的に捉えることができます。そうした座談会の中で印象的だったのが、上山春平氏の次の言葉です。
あの時期に生命をとする覚悟は誰しもできていたのではないかと思います。あとは死に方の問題です。その選択に当って、特攻を選ぶということは、自分の死を最高度に意義あらしめたい、という若者らしい自負の発露であったとさえいえるのではないか、と思うのです。 
バカげたことに命を賭けたものだとあざ笑う人は今も絶えないでしょう。ある視点からみれば、愚行にみえるかも知れません。しかし、人間は愚行をくりかえしながら、今日の文化を築き上げてきたのではないでしょうか。
戦時中は家族や国のために命を賭けることが当然であり、自然な行動でした。それが今では、自己の些細な満足のために家族を殺したり、役所を騙して生活保護を不正受給したりと、モラルが崩壊し、エゴをむき出している人々が増えています。戦後、日本の教育はGHQによってすべて否定され、そこに左翼思想が入り込んで、教育が荒廃しました。伝統的な道徳観は消え、個人主義の名のもと責任なき自由を謳歌するようになりました。今の日本の平和と経済的繁栄があるのは、尊い命の犠牲があったからです。閣僚の靖国参拝をどうこう報じるのではなく、日本のメディアは終戦記念日にちなんで、こうしたことをきちんと現代の私たちに伝えていくべきでしょう。

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靖国問題から東京裁判を考える

終戦記念日の今日、靖国神社を参拝した閣僚は、新藤総務相、古家国家公安委員長、稲田行革相の3名に留まりました。安倍首相は参拝する代わりに代理人を通じて私費で玉串料を奉納したと報じられています。

負けるとはわかっていながらも、家族や国を守るために、少しでも相手に損害を与え、侵攻を食い止めようとして命を落としていった英霊が祭られている靖国神社を、首相をはじめ、閣僚たちが参拝することは当然のことだと思いますが、日本のメディアは、中国や韓国がどう反応するかばかりを報じ、さらには、「公人」か「私人」か、あるいは「公費」か「私費」かといった瑣末なことを報じています。

しかし、中国や韓国は日本のメディアが騒ぐからそれを利用しているのであり、あくまで内政の問題として無視すればいいだけの話です。

また、靖国神社にはA級戦犯が合祀されていることが問題という意見も多く、昭和天皇が1975年11月21日を最後にご親拝されていないのも、A級戦犯の合祀に不快感を持っていたためという見解もあります。

ところで、いわゆる「A級戦犯」という括りにどれだけの意味があるのでしょうか?A級戦犯は東京裁判によって決められたものであり、その東京裁判は国際法の観点から正当性がないことは明らかです。つまり戦勝国による敗戦国への復讐と、日本人へ自虐史観を植え付けるための壮大な芝居にすぎません。だから、「A級戦犯=悪」とは必ずしも言えず、むしろ戦勝国による復讐の儀式の生け贄だったと言えるのではないでしょうか?

もちろん、戦前から戦時中において不幸なことに日本の中にも無能が指導者が多数いたかもしれませんし、その結果として必要以上に多くの命が犠牲になったことでしょう。日本兵の戦死者の多くは戦闘による死ではなく、飢餓や病気によるものです。これは戦争指導者の責任だと言えるでしょう。ただ、こうした国家運営の問題とA級戦犯を合祀しているから靖国参拝はけしからんという話とは全く別問題です。

中国や韓国の反発以上にアメリカは、安倍政権誕生後に盛り上がりを見せる日本での自虐史観の見直しの動きを「歴史の修正主義」として警戒しています。そうしたことを背景に安倍首相は現実的な妥協をせざるを得なかったのでしょう。それ自体は残念なことではありますが、われわれ日本人は正しい歴史観を持ち、この問題を考えていく必要があります。

サンフランシスコ講和条約を経て国際社会へ復帰した日本がまず行ったことは、戦犯釈放要求と戦犯遺族への年金受給でした。昭和28年8月3日に衆議院本会議で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」を可決しました。そこでは保守も革新もなく、国民の総意として行われたことです。

東京裁判に対する世界の識者による批判や独立回復の中での日本政府の取り組みを理解する上ではこの本がおすすめです。



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東京裁判について考え直す本

予測不可能な世界だからこそ「哲学」が必要とされます。


「哲学」と考えるとものすごく敷居が高く感じてしまいますが、「ものの考え方」と捉えれば、ぐっと身近になってくるでしょう。
「想定外の世界」。人間の叡智は究極的には世界(これは自然と社会を含むものですが)を、把握し予知しコントロールできるはずだ、という思い込み。世界は想定外のことに満ち満ちています。今は、我々人間の叡智はすべてを想定し予知しうるはずだ、という傲慢から解放され、まず謙虚になるべきです。それは「哲学的思考」によって、自分たちの知りうる限界、なしうる限界を見据えることです。
これって、ソクラテスの言う「無知の知」ですよね。ここが哲学の出発点ということになります。
つまり、ものごとがうまく順調に進んでいるときは、「根本に戻って考える」なんていうことは邪魔なんだけれども、一体そもそも科学って何だったんだ、宗教、人間って何だったんだ、ということを問い直さなければいけない時代には、哲学的に考えることは逆にプラスになる。「そもそも、それは何だったのか」を考えることで、本質的なことが見えてきます。
現代はものすごいスピードで変化し、どんどん新しいものや概念が登場してきます。そんなときには、なかなか既存のフレームワークで捉えることが難しくなります。だからこそ、今こそ哲学的思考が必要とされているわけです。

この本の特徴は、単なる哲学の概念の解説ではなく、新しいテクノロジーの出現によって起こる出来事を哲学的思考で捉えようとしている点です。
 ところが現代では、デジタル・ネットワークの成立によって、すべての読み手が、すべて書き手になってしまった。つまり意見を享受するだけだった人達が、意見を公表する側にも回れる。だから、誰でも、もう、なんでも自由に発信することができる。あらゆる人が、基本的に書き手になりえるような構造になってしまった。
 ロボットは、人間とは何かというのを逆照射する形で見せてくれる、面白い存在であったわけですが、次第に人間の知能を超えた存在になっていくのかもしれない、ということです。
この話のように、結局、ロボットの研究をするっていうことは、人間とは何か、心とは何かを考えることにつながっていくわけです。そしてその問題は、デカルトやホップズなどにもつながる哲学的な問題なのです。
よく言われることかもしれませんが、1950~60年代のように、「国民がテレビを見るようになって、みんなで東京オリンピックを一緒に楽しみました」みたいな時代とは違って、今は、ある種世代を超えて楽しむべきものがなくなっています。大鵬が出ていた時代の相撲とか、王や長嶋が活躍したときの野球とか、力道山が出ていたプロレスとか、初期の紅白歌合戦とか、世代を超えて、みんなが一つのものを共有できる時代だった。それからどんどん分裂が進んで、現在では同じ話題を支えるものがほとんど消滅しつつあります。 
人々は同じ場所にいながら、まったく別の世界を生きている。場所や時間の同時性が、人の間の結びつきを意味しなくなっている。同じところにいても、まったく共通の話題がない、そんな事態がどんどん進んでいます。デジタル時代はこの状況を徹底化するわけです。 
大企業であれ、一つの投書や人々の意見のほうが、もはや強いということがありうる時代に変わってしまった。そういう意味で、少数の人物が多数の一般大衆を啓蒙したり、教育したりという非対称的な構造が、完全に崩れた、ということが言えるわけです。 
自由とか個人というものは、あるパラダイムの中で初めて成立するような概念なのだから、今、起っている変化がその枠組み自体を崩すような変化であるとすれば、かつて存在していた自由や個人というものは、新しいパラダイムの中ではそもそも意味を持たない可能性がある。そもそもそれが意味を持つのかどうかということ自体、疑問なわけですね。これは、見落としがちなことだと思います。 
ニーチェは一世紀前に、「読者の出現は書物を堕落させる」と言ったんだけれども、一世紀経ったら、すべてが著者になっちゃった。これは読者が生まれたときの腐敗より、はるかに恐ろしい腐敗になる、とも思われるわけです。 
確かに<ブログ論壇>によって生み出される<知>というものもあるかもしれません。しかし、デジタル世界の無料文化が、既存の情報インフラ社会に対するフリーライド(ただ乗り)によって成立している側面があるのど同様に、ブログ論壇の文化も<既存の情報インフラ>に対するフリーライド、という側面があることを感じざるをえません。既存に依存しながら既存を荒廃させる、あるいは、伝統に依存しながら伝統を荒廃させる、という構造を、インターネットの世界は持っていると思われるからです。
同じ時間を生きていても、価値観が多様化して、バラバラな感覚ってわかるような気がします。今の時代から見ると、「巨人、大鵬、卵焼き」と言っていた時代の日本人は驚くほど単純だったように思えます。だからこそ、時代を共有する一体感のようなものがあったのでしょう。

また、ネットの発達によって誰もが情報を発信できるようになりました。それは同時に公表されるものが玉石混交であり、また、コピペ文化によって、簡単にただで利用できてしまうことにもなりました。そうなってくると、文章というもの、あるいは情報というものに対して対価を払う意識がだんだん低下してしまいます。そうなると、論壇というものが経済的に成り立たなくなってしまいます。
非常に大雑把な言い方になりますが、神が最善に創ったはずの世界がこんなに悲惨に満ちているとすると、最善に創られた世界も神も素朴には信じられなくなる。「本当に神様だけにたよっていていいのだろうか?」。そうすると、頼るのは人間しかいなくなる。ここから人間中心主義がはじまるわけです。
もう1点、「フクシマ」が私達に示したことは、人間中心主義が生み出してきたテクノロジーが、今では人間の手に負えないほど巨大化、複雑化してしまったことです。
 もしもカオス研究が明らかにしたことが、世界の基本的なあり方だとしたら、人間が自然を操作し支配し予知し統御するって言う世界観、つまりハイデガーの言う「世界像の時代」は実はすでに崩れ去っていっている。これは、カオス研究という視点からも、あるいはリスク社会(つまり、リヴァイアサンとしてのテクノロジー)という視点から言えることだとおもいます。 
しかし、そもそも世界を知り尽くしコントロールするのがあるべき目標だ、あるいは、人間が神のような中心となって、世界を窮めつくしコントロールすべきだ、という人間中心主義の発想は、よく考えてみると、「知は力なり」としたF・ベーコン、「我思う故に我あり」としたデカルト、あるいは神の摂理に代わって人間理性が中心となる「リスボン大地震以後」あたりからの考え方に過ぎないのです。
 「哲学的思考」は、このような具体的次元にかかわるというよりは、そもそも、世界そのものと、世界に我々が貼りつけたフィルムとは別だ、ということの自覚からはじまるのです。我々が事実そのものだ、と思っている「世界」は、私達が事実だと思っている私達の「世界」に過ぎないということに気づくことです。
このような形で世界を捉えられるようになること。これこそが、私達が<自由に>生きることの最も根本的な気づき、なのです。
3.11のような悲惨な災害が起ると、神を否定し、人間中心主義が始まる一方で、「フクシマ」では人間中心主義が生み出したテクノロジーが人間の手に負えないことを露呈してしまいました。そして著者は「ニュートン的世界」の次に現れるのは「カオス的世界」だと言っています。

とらえどころのない世界を読み解いていこうとすれば、一人よがりの主張の前に、まずは先人たちの議論を振り返り、そうした人類の財産の上に新しいものの見方を構築していかなければならないと感じます。



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2013年8月14日水曜日

疲れた心を癒してくれる一服の清涼剤

加藤諦三先生にはこれまで何度も助けられました。といっても、あくまで著書を通じての話ですが。

具体的な悩みがあるわけでもないのに、心に疲れを感じることがあります。自覚しているうちはまだ大丈夫なのだろうと思いながらも、思い心をひきずりながら小手先で仕事を凌いでいると、どんどん心の疲労が溜まっていきます。

これがひどくなると「うつ」になるのでしょうが、幸いこれまで何とかやり過ごしてきました。その時にお世話になったのが加藤先生の著書です。

読んでいくと心に突き刺さる言葉もたくさん出てきますが、だんだん自分を肯定できるようになってきます。この本の中で印象に残った言葉を書き出しました。
心の病弱な人は生きているだけで偉い 
葛藤は重荷となって心を疲れさせる 
自分の不幸を嘆く人のまわりに人は集まらない 
「不幸」は偽装された憎しみ  
「不幸」は「愛してほしい」という心の叫び 
自分を抑えすぎるから、生きることに疲れる 
人類を愛することはやさしいが、隣人を愛することは難しい 
体の怪我は見えるが、脳の怪我は見えない 
「元気を出せ」は生きる気力を奪う言葉 
周囲の人に迷惑をかけても、とくかく休もう 
惨めな人間関係の牢獄から逃れよう 
生きるエネルギーを回復すれば世界は違って見える 
自分のためだけの一日を実行する
ものすごく気分が沈んでいて、何もする気にならなかったときに、「心の病弱な人は生きているだけで偉い」という言葉を見つけました。目にした瞬間、思わず涙が出てきて、そのあとで心がスーッと軽くなった経験があります。誰かに癒しの言葉を掛けてほしかったのだと思います。

ストレスの多い時代ですから、ときには心を休めることも必要ですね。



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2013年8月13日火曜日

消費税増税とセットでやるべきことは法人税ではなく所得税の減税です。

4-6月期の実質GDPが発表され、年率2.6%の成長となりました。来年4月からの消費税率アップを決める上で重要な指標とされていましたので、これで消費税増税に弾みがついたことになります。

今朝の日経新聞では、安倍首相が法人税率引き下げの検討を指示したと報じられています。国際競争力という観点では喜ばしいことではありますが、これは結果的に金持ち優遇になってしまいます。

サラリーマンは所得を完全に捕捉されてしまいます。そのため毎月の給与から源泉税を確実に引かれ、さらに年末調整がほぼ自動的に行われます。一方で、多くの金持ちは法人を作って所得を自由に移転することができますので、個人の所得を法人に移してしまえば、より低い税率で済むことになります。

そもそも財政再建のために消費税増税を決めたわけですから、法人税の減税幅は当然、消費税の増税分より小さくなるはずです。しかも、法人税が減ったからと言っても、業績そのもの(この場合、営業利益や経常利益を想定)は変わらないため、企業は従業員の給料を増やそうという行動にはつながらないでしょう。そうなると一般のサラリーマンは消費税の増税分の負担が増えるだけで終わってしまいます。

僕は社会全体で広く税金を負担すべきと考えていますので、消費税増税によって間接税の割合がアップすること自体は賛成です。法人税を支払っている法人は全体の3割程度しかありませんので、法人税を減税するよりは、所得税を減税した方が一般的なサラリーマンとっての恩恵が大きく、景気への影響はより小さくなると考えます。

企業の国際競争力、海外からの投資の呼び込みという観点から、法人税を減税すべきという主張が良く見られますが、海外からの投資の呼び込みであれば特区を作って限定的に低い税率を適用すればよく、そもそも財務省の発想から言って、企業が日本に残るか海外に移転するかの意思決定に影響を与えるほど大きな減税はありえないでしょう。


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またしても黒田総裁は「増税でも成長」と発言。条件付きで支持しますが。



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2013年8月11日日曜日

領土問題を理解するために歴史を学ぶ


北方領土、竹島、尖閣諸島と日本は領土問題を抱えています(正確には、尖閣諸島は日本が実効支配しているため領土問題ではありませんが)。でも、領土問題は日本に限ったものではなく、世界中で領土を巡って紛争が起きています。

この本は、元航空自衛隊で軍事ジャーナリストの鍛冶俊樹さんが書かれた本です。序章「軍事は国家に先立つ」では、国家を語る上で、まず軍事があってその後に国家が成立するという立場からスタートしています。
だが国家は戦乱の中から自然発生するのではない。明確な意思を持った指揮官が軍隊を率いて一定地域を征服し、そこに国家が成立するのである。 
従って国家と軍隊の関係でいえば、まず軍隊があり、軍事制圧が完了した後に国家が出現し、統治が始まる。軍隊が一般的に国家の中で他の行政機関と違った位置付けになっているのはこのためである。国家より先に軍隊があるのだ。
憲法改正の議論を見ていると、市民運動家のような人達が、軍隊を持つことがそのまま戦争をすることに直結するかのような主張をしています。でも、それは本当でしょうか?むしろ、パワーバランスを確保することで戦争にならないという方が歴史上は説得力があります。

この本では世界各地の領土問題とその背景としての歴史について、数多くの地図を掲載しながら解説しています。その中でいくつか興味を持った記述がありました。例えばインドについて、こんな記述があります。
日本では戦後、インドが大人気だった。(中略)日本人には外国をむやみに理想化する性癖があるし、そもそもインドが親日的だという要因もあるが、それ以上に戦後の日本世論に作用したのは、ガンジーの非暴力主義とネルーが掲げた外交姿勢としての非同盟主義である。
インド独立後はパキスタンやバングラデシュとの戦争を繰り返し、現在では立派な核保有国です。日本の理想とした非武装中立の平和主義は幻想に過ぎませんでした。

また、ヨーロッパについてこんな記述があります。
『西洋の没落』は1918年にドイツの哲学者オスヴァルト・シュペングラーが著した書である。その名の通り西洋文明はやがて滅びると予言し、その時期を21世紀初頭に設定している。欧州危機はいまだ出口が見えず、欧州は解体するのではないかとの憶測も飛び交う現在から見ると、不気味な予言であろう。
シュペングラーの精緻な論考を私的に要約するなら、宗教的信仰心が失われ、科学が技術に取って代わられ、文化が経済に取って代わられ、哲学が情報に取って代わられるとき、文明は滅亡するのである。
ちょっとドキッとする予言ですが、これはヨーロッパだけではなく、現在の日本にも当てはまるかもしれません。

最後に日本の領土問題に対する姿勢について、このように警鐘を鳴らしています。
(北方領土問題について)「日本が奪われた領土を諦めれば、波風立たずに平和に収まる」などというのは、かえって戦争を誘発しかねない危険な考えなのである。このことは、日本にとってのもう一つの領土問題である竹島問題にも当てはまる。
将来在日米軍が縮小、撤退したとき、北方領土にロシアがいれば北海道は危機に晒され、竹島に韓国がいれば対馬の実効支配も時間の問題となってしまうというのです。

このほかにも東アジア情勢として、中国や北朝鮮で起っていること、パレスチナ問題やロシア、アメリカの戦略など、面白い話はたくさんあります。領土問題、さらには世界情勢を理解するためにはその歴史的背景を学んでおかなければいけないと考えさせられた本でした。



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2013年8月10日土曜日

仕事に役立つ金言集

この本は、幻冬舎の見城徹さんとサイバーエージェントの藤田晋さんという、起業家として成功した二人によるビジネスの場面で役立つ金言集です。タイトルの「憂鬱でなければ、仕事じゃない」という言葉に惹かれて手にしました。

起業家として成功するためには斬新なアイデアや豊富な人脈が必要だと思いがちですが、そうしたものの土台には、「当たり前のことを徹底してやる」、「死ぬほど努力する」という泥臭い基礎があると言うことが良くわかります。

例えば「バーティーには出るな」という言葉があります。世の中にはパーティーで名刺を配りまくってそれで人脈を作ったと思っている人も多く、だからこそそうしたパーティーを企画して、客寄せとして著名人を少しの時間呼ぶだけで儲かるという仕組みが成り立ってしまいます。しかし、そこで得た「人脈」なるものは、実際の仕事ではほとんど役立たないでしょう。

また、「ピカソのキュービズム、ランボーの武器商人」という言葉には、「スタンダードを極めた人間にしかスタンダードを超えることができない。ひとつのビジネスに没頭し、格闘した者だけに見えてくる全く新しい風景。いきなり成功する新しいビジネス・モデルなどあり得ない。」という解説がついています。成功を急ぐあまり基礎をおろそかしに、いきなり斬新なものに取り組もうとする姿勢を戒めています。基礎をとことんまで突き詰めることが、次のステージへの近道となるのです。

その他にも、「かけた電話を先に切るな」、「切らして渡せなかった名刺は速達で送れ」、「行く気がないのに、今度、飯でもと誘うな」など、人と接する上で小さなことの積み重ねが信用を生み、逆に小さなことをおろそかにするとビジネスで大きな失敗につながることも強調されています。これは明日からでも意識していきたいものです。

人によって心に響く言葉、役に立つ言葉は違うと思いますが、この本に収められている35の言葉の中から、きっと見つけることができるでしょう。



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またしても黒田総裁は「増税でも成長」と発言。条件付きで支持しますが。

8月8日の金融政策決定会合後の記者会見で、黒田日銀総裁は、消費税率を予定通り2段階で引き上げても、14年度、15年度ともに1%台の実質経済成長率を保てるとの見方を示しました。

政府でも来年4月からの消費税率引き上げの可否について結論を出さなければならないタイミングが近付いてきているわけですが、このところ黒田総裁は増税の援護射撃をするような発言をしています。

増税を先送りして日本の財政規律に対する信任が失われることで国債が暴落し、金利の高騰を招くことを避けたいという立場と、財務省出身で念願の消費税増税を何としても成就させたいという立場、それから総裁就任の経緯から安倍首相を何としても支えなければならない立場など、様々な立場から考えても、黒田総裁の立場からは消費税増税の支持する発言しかできないでしょう。

個人的には所得税を減税してくれるなら消費税はやむを得ないと思っています。この世の中、所得税にしても法人税にしても払っていない人(会社)の数が多すぎます。色々問題はあるとはいえ、様々なインフラを使い、行政のサービスを利用しているにもかかわらず、一部の人や企業が多くの税金を負担しているのは釈然としないものがあります。消費税であれば、ほとんど誤魔化しようがないでしょうから、まずは皆が税金を負担することになります。もちろん、逆進性の問題はありますので、還付等の措置は必要だとは思いますが。

消費税増税の景気への影響についても諸説ありますが、僕は駆け込み需要とその反動で一時的な影響はあるかもしれませんが、長期的に均して見れば、影響は軽微だと思っています。

それよりも税金の世界で、サラリーマンが一番割を食っているのが問題だと思います。サラリーマンは所得をがっちり捕捉され、源泉徴収で税金が給与天引きになるので、誤魔化しようがありません。会社に隠れてバイトをしていた場合でも、バイト先がまともな会社なら、一定の源泉徴収はされるでしょう。個人事業主であれば、事業が順調であれば経費の取り扱いについては一定の裁量でコントロールできますので、節税ができます。大金持ちの資産家ともなれば、あらゆる手段を駆使して節税ができるでしょう。消費税増税と合わせて所得税の最高税率も40%(住民税を含めて50%)から45%(同55%)に引き上げられました。その一方で、国際競争力という観点から、トレンドとして法人税率はこれからも低下していきます。そうすると、高所得者の所得税率が上がっても、会社を作ってそこに利益を落とすようにすればそれだけで逆に税金を減らすことができます。会社のオーナーなどはそういったことが自由にできるでしょう。

少子高齢化で社会保障費の負担が増え、格差社会で税金を負担できない層の割合が増え、大金持ちは節税策を駆使し、あるいは国外逃亡すると、日本経済を支えるサラリーマンがどんどん疲弊していきます。そうなると、「国は誰をどこまで助け、その費用を誰が負担するのか」という問題に立ち返らなければならなくなりますが、この中間層を疲弊させては国の発展はありません。これまで1年交替で首相が変わり、政権として長期的な視点に立って物事を考えることが出来なかったと思いますが、安倍政権が長期政権となって、こうした問題にも腰を据えて取り組んでもらいたいと思います。



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2013年8月9日金曜日

便利な社会になると人は待てなくなる-『「待つ」ということ』

世の中が便利になると人は待つことができなくなります。その象徴的なものが携帯電話の存在でしょう。今やスマホは少し前のパソコン以上の性能を持ち、絶えず人との繋がりが持てる一方で、メールやLineなどで友人にメッセージを送ると、すぐに返事がないとイラついてしまうことが良くあるのではないでしょうか?

この「待てない社会」の中で「待つ」ということを突き詰めて考えているのが、鷲田清一著『「待つ」ということ』(角川選書)です。


意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性を私たちはいつかなくしたのだろうか。偶然を待つ、自分を超えたものにつきしたがうという心根をいつか喪ったのだろうか。時が満ちる、機が熟すのを待つ、それはもう私たちにはあたわぬことなのか・・・・・・。
情報が氾濫し、ある種の問題に対しては簡単に答えが見つかる社会。人とのコミュニケーションが手軽に瞬時でできる社会。とても便利なものですが、その分、じっくりと考えるプロセスが省略されてきたように感じます。これを「効率化」と言ってしまえばそれまでですが、何か大切なものを見落としているように思えます。

時の流れが加速している社会の中で、改めて「待つ」ことについて考える意味はあまりないのかもしれません。ただ、どれだけ便利になったとしても、将来の不確実性がなくなることはありません。この不確実性こそが「待つ」ことの本質です。日常的に「待つ」ことへの耐性が喪われてしまうと、すぐに答がでないもの、曖昧なものに直面したときに、対応できなくなってしまいます。

効率化に逆行するのもたまにはいいのではないでしょうか。

韓国ではこんな法律がまかり通る

韓国では、日本統治時代に日本から爵位を受けた者の財産は没収されるようです。それも日韓併合に協力したかどうかに関係なくです。

2005年に成立した親日財産帰属法では、1910年の日韓併合で日本に協力した人物を「親日反民族行為者」として登録し、その人が持つ「親日財産」を没収の対象としていました。それが、2011年の改正で、適用対象が爵位を受けたすべての人に事実上広がり、この点が「遡及立法」だとの指摘を受けて問題になっていました。

こんな事後法の遡及適用で財産権が侵害されるとは恐ろしい国です。こんなことをやっているから、一般国民の間で反日感情が煽られるのでしょう。法の番人である憲法裁判所の裁判官が支持しているわけですから、法理論も何もあったものではありません。

自分たちの政治体制がお粗末であったために、日韓併合がなれけば、中国の属国のままであったか、ロシアに侵略されていたはずです。そうした歴史を直視せず反日を煽って国家としてのアイデンティティを保とうしているのが韓国の実情です。

それでも反日だけでは経済的に立ち行かなくなり、韓国も反日で一枚岩となっているわけではないようです。逆に言えば、日韓友好はあくまで金銭的つながりでのみ可能であり、法律で「反日」を定め、ゆがんだ反日教育を行っている韓国と真の友好関係を築ける日はまだまだ遠いでしょう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130805-00000003-jct-soci&pos=1

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2013年8月7日水曜日

外資系金融機関の裏側がリアルにわかる本

著者は冒頭で、外資系金融機関の本質を次のように簡潔に言い表しています。
うまくいったときは自分のポケットに多額のボーナスを入れ、失敗したときは政府に救済される、というこの金融機関のビジネスモデルは、リスクとリターンが参加者の自由な競争のなかでバランスしていく市場原理とは似ても似つかないものだ。とんでもないモラルハザード(損失のリスクをどこかに押し付けることにより、自らはリスクを取れば取るほど儲かるようになることを表す金融用語)なのである。
外資系金融機関のトレーダーは、人の金で過大なリスクを取り、うまくいったときは多額のボーナスを貰う一方で、失敗して損失を出しても辞めれば済むわけで、一方で政府は経済の混乱を避けるため、巨大金融機関ほど、税金を投入して救おうとしてきました。

リーマンショックの中で比較的傷の浅かった日本の金融機関は、海外事業拡大のために欧米の金融機関に出資をしました。その中でも野村證券によるリーマンブラザーズの買取にあたって、致命的な失敗をしてしまったことが指摘されています。
こうして儲けたのにボーナスがもらえず悲しみの荒野に放り出されたとレーダーたちを嘲り笑うように、金融危機のまっただ中に異常にホクホクしている連中がいた。つぶれたリーマンの社員たちだ。何が起ったのか?それは日本の野村證券がつぶれたリーマンを買い取り(ここまでは良かったのだが)、何を血迷ったかとレーダーやセールスなど、フロントオフィスの社員の給料を2007年度と少なくとも同額を2年間保証すると宣言したのだ。
また、著者は、理数系の博士号取得者達が金融機関に就職し、複雑な金融工学を駆使して金融商品を生み出し、あるいはリスク管理システムの構築してきたことに対して、「頭脳の浪費」と斬り捨てています。
そして、この金融工学の分野が、世界の理数系の頭脳を浪費し続けてきた。サイエンスの分野で才能あふれる若者たちが、高い報酬に目が眩んで、外資系金融機関に殺到した。そこでは彼らがコンピュータの前に座り、朝から晩まで、何の価値も生み出さないデリバティブをこね繰り回し、リスクを切ったりくっつけたりしながら、高いマージンを隠して、馬鹿なクライアントにはめこむことばかり考えていたのだ。
リーマンショック後の混乱は収まり、ヨーロッパではギリシャなどの財政危機問題が燻っているものの、世界的な金融緩和の中で、先進国の株価は概ね高い水準で推移しています。いずれ極端な金融緩和による過剰流動性がバブルを生み出し、崩壊することになるでしょう。それがいつどこで起こるかはわかりませんが、ITバブルやファンドバブルなど、テーマは違っても世界中で同じようなことを繰り返してきました。

この本は、外資系金融機関の裏側がリアルに描かれていてとても面白く読めます。ところどころ傲慢で差別的な表現もありましたが、本音がストレートに伝わってきて、僕は嫌な気持ちにはなりませんでした。



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2013年8月6日火曜日

金融マーケットの裏側に迫る本『闇株新聞 the book』

金融系の有名ブログ「闇株新聞」が本になったものです。

実はぼくはブログを知る前に本屋でこの本を手にして買ってみました。立ち読みしながらページをめくっていくうちに、「こ、これはすごい」と思い、迷わず買ってしまいました。

ブログが本になったとはいえ、前半の為替に関する章ではかなりオリジナルの文章も掲載されています。米ドル、ユーロ、人民元、円のそれぞれについて、歴史的背景から現在の状況、これから想定されるシナリオについて、かなり論理的に書かれています。また、株式に関する章は、基本的にはブログの内容を転載されていますが、日経新聞だけではわからない経済事件の背景が解説されていて、とても面白いです。

この本をきっかけに、ブログも見るようになりましたが、著者の金融に対する造詣の深さには関心します。また、金融だけではなく、ときどき歴史問題にも触れられていて、思想的に親近感が持てました。

これからの国際金融の動向を考える上でも、この本はとても役に立つと思います。


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広島の平和記念式典について思うこと

今年も8月6日、原爆の日を迎えました。

東京裁判でA戦犯の被告たちは、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」で起訴され、7名が絞首刑となりました。勝者が敗者を裁く東京裁判では当然のことながら、アメリカが投下した原爆や東京大空襲などは「人道に対する罪」として取り上げられることはありませんでした。原爆が投下された広島や長崎の惨状を知れば、原爆投下こそ最大の「人道に対する罪」だとしか思えません。

しかし、こうした声はあまり大きなものにはなりません。アメリカのルース駐日大使は、どのような気持ちで平和記念式典に参列しているのでしょうか?アメリカは実践で核兵器を使用した唯一の国であり、日本は核兵器の攻撃を受けた唯一の国であることは歴史的事実です。平和記念式典に関して言えば、どうしても「核の早期廃絶と平和な世界の実現」という抽象的な話になりがちですが、ぼくたちは、こうした歴史的事実を踏まえた上で、現在の日本はそのアメリカに守ってもらっているということを認識しなければなりません。

そう言えば、原爆死没者慰霊碑に刻まれている「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という碑文について、かつて、この「過ち」は誰が犯したものかということが議論になったことがありました。この文言だけを見れば確かに意味不明でして、あたかも日本人が過ちを犯したかのような印象を与えてしまいます。現在では碑文の主語は「人類」「すべての人びと」ということになっているようですが、釈然としないものがあります。

こうしたもやもやしたものがあるから、広島の平和記念式典に関する報道を見ても、どうも偽善的に感じてしまいます。日本は唯一の被爆国だからこそ核兵器の悲惨さ、非道さを世界に訴えることができるというように言われますが、アメリカは原爆の使用を正当化し、多くのアメリカ国民は原爆の使用はやむを得なかったと信じ込まされています。つまり正当化する理由があれば、どんなに非道な兵器でも使用はやむを得ないと考えてしまうわけです。だから、どんなに被爆が悲惨なものであったとしても、それはアメリカが悪いのではなく、日本の軍国主義が悪かったと言われて終わってしまう話なのです。

だから、日本政府としては無理でも、せめて広島市長くらいは「人類の平和」、「人類の過ち」などとぼかさずに、ストレートにアメリカの非道さを訴えて欲しいと感じました。



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2013年8月5日月曜日

リニア中央新幹線のルートについて考える

産経新聞から配信されたニュース「JR東海、京都のリニア誘致に辟易 ”上から目線”の要望に「えっ?」」を読んで、恥ずかしながら、リニアのルートがほぼ決定されていること、そして京都がそのルートから外れていることを知りました。

京都出身のぼくとしては、やはり、これまで新幹線の「ひかり」も「のぞみ」も停車してきたので、当然リニアも京都に来るだろうと思っていました。京都のロビー活動が甘かったのでしょうか?

ただ、新幹線がありながら、何のためにわざわざ莫大な費用をかけてリニアを開通させるかということを考えると、やはり移動時間の短縮が最大の目的のはずです。それなら、東京と名古屋と大阪に停まれば十分なのではないでしょうか?それを、自分の県を通るのなら県内に駅を造れとか、それなら自分の県を通れとか、いろいろ言い出すと、結局中途半端なものになってしまいます。

地方分権が、あたかもいいことのように言われていますが、国として最適な輸送手段のあり方や交通網の整備は、地方分権だけでは達成できないでしょう。とは言っても、これまで政府のやってきたことは、力のある国会議員の出身地を優遇してきたわけですから、偉そうなことは言えないのでしょうが。

名古屋-大阪間のルートの話をすれば、リニアが京都に停まらないのは残念ですが、大阪に停まるのであれば、仕方がないと考えるべきでしょう。むしろ奈良に停まる必要性があるのかも疑問に感じます。

リニアは新幹線に比べて劇的に速くならなければ、意味がありません。多額の費用をかけて、駅を沢山造っては、無意味です。大災害時の代替手段としての役割だけであれば、北陸新幹線を早期に大阪まで延長させた方がよほどコストがかからないのではないでしょうか?


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2013年8月4日日曜日

東京裁判について考え直す本

この本の著者である瀧川政次郎氏は、東京裁判で島田繁太郎元海相の副弁護人を務めた方です。この本を読めば、東京裁判がいかに茶番だったかがよくわかります。それ以上に、「武力を持たない国が生きてゆく道は、正義を主張する外にはない。私は今日の日本における国家再建の出発点は、東京裁判を正しく批判することであると思う。」という、著者の思いが強く伝わってきます。ちなみにこの本が書かれたのは昭和28年です。

東京裁判については、A級戦犯全員に無罪を宣告したパール判事をはじめ、国際法に照らして矛盾だらけであることは、多くの国際法の学者は指摘しています。しかし、一般の国民にそのことが正しく伝わっているとは思いません。それ以上に問題なのは、東京裁判の中では、日本軍はアジア諸国を侵略し、極悪非道なことをしたと断罪され、それが強い贖罪意識となって、未だ日本がその自縛から解き放たれていないことです。

安倍政権が誕生して、日本の保守化に対して中国や韓国のみならず、アメリカも懸念を示しています。なぜなら、日本の保守化が進み、自虐史観から脱して過去の真実の歴史に目を向けるようになるということは、アメリカの偽善の裏にあった日本弱体化政策を白日の下に晒さらされ、日本がアメリカから自立することになるからです。

著者は、「できるだけ多くの日本人に本書を読んでもらいたいと考えて、もっぱら平易、通俗をむねとした。」と書いていますが、ボリュームもあり、読むのはそんなに簡単ではありません。でも東京裁判の全貌を知る上では、これ以上ない本だと思います。



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麻生副総理の「ナチス」発言のどこが悪いのですか?

麻生副総理兼財務相の8月2日の記者会見での発言が物議を醸しています。
この発言については、ネット上でも様々な意見が出されていますが、今更ながら僕なりに考えてみたいと思います。

麻生氏の発言の中で、憲法改正について「憲法もある日気が付いたら、ワイマール憲法もいつの間にナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かないで変わった。あの手口、学んだらどうかね。」という点が、ナチスを正当化するものだということで、内外のメディアや野党から非難を受けています。

メディアの報道を表面だけ見ると、「麻生さんがまた血迷ったことを言った」という印象を受けてしまいます。ただメディアというものは、麻生氏が首相だった頃にはカップラーメンの値段を知らないなどというくだらないことで批判したり、セレブぶりを揶揄したりと、本質的な政策議論ではないことろで、世論にバイアスを刷り込み、その結果民主党政権が誕生したことは記憶に新しいところです。

麻生氏の発言に話を戻すと、本当に言いたかったことは、「憲法改正も、護憲と叫んでいれば平和が来るなんて思ったら大間違いだし、改憲できたからといって世の中が全てうまくいく、(と考えるのは)全然違う。改憲は単なる手段で、目的は国家の安寧とわれわれの生命財産の保全だ。この手段をどうやって現実的にするかというとき、狂騒の中で決めてほしくない。よく落ち着いた世論の上に憲法改正は成し遂げられるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。」というところです。

確かにナチス云々のくだりは意味不明で誤解を受けやすいところではありますが、発言全体の意味を考えれば、感情的なイデオロギーを煽るのではなく、現実の国際社会を見据えた上で、冷静に議論すべきという、真っ当なことを言っているとしか思えません。原稿を読んでいるわけではないので、言葉尻だけを捉えればいくらでも不適切な発言を捏造することができますし、そんなことをして閣僚を辞めさせることが国益のどれだけプラスになると言うのでしょうか?

これまでにも多くの首相や閣僚がこうした発言の「捏造」によって職を辞することになってきました。日本にはこれから解決していかなければならない問題がたくさんあります。政治家はくだらない言葉のあやで閣僚の足を引っ張るのではなく、正々堂々と政策を議論し、メディアは日本の国益のため、複雑な論点を中立的な立場で国民に向けてわかりやすく発信するのが本来の姿ではないでしょうか?

まずは麻生氏の発言要旨を実際に読まれることをおすすめします。




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2013年8月3日土曜日

読書の方法に迷いが出たときに読む本

本をいくら読んでも内容が頭に残らなくて虚しさを感じることはないでしょうか?

小説なら読んでいる間が楽しければそれでもいいのかもしれませんが、ビジネス書や専門書などは、読んで内容を吸収することが目的なので、どのように読めば効果的なのか知りたくなることがあります。この本を読めば、そうしたニーズに応えてくれることでしょう。

第Ⅰ部は「本をどう読むか」と題して、大量の本を読み続けている著者の読書法が、具体的に解説されています。本の読み方を「熟読」「超速読」「速読」の3つの手法に分類し、それぞれの読み方やノートの作成方法が示されています。本を読む場合は、すべての本をはじめから終わりまで全部読む必要はなく、どのように効率良く読み、必要な情報をインプットするかが大切ですが、紹介されている著者の手法は十分マネできるものだと思います。

第Ⅱ部は「何を読めばいいか」と題して、社会の様々な事象を理解するために必要な基礎知識をどのように補っていくかが示されています。これは読書法というよりは、著者による教養講座といった内容ですが、現在起こっている社会現象を理解する上で、教養が必要であり、具体的には幅広い分野で高校レベルの知識を必要だということがわかります。

第Ⅲ部は「本はいつ、どこで読むか」と題して、限られた時間で読書のための時間をどう捻出するかについて書かれています。これも読む本や目的によって時間の使い方や適切な場所があることがよくわかります。

この本を通して、著者の教養のすごさに圧倒されてしまいますが、自分にできそうなものから少しマネてみると、読書というものがより深いものになっていくのでないでしょうか。


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日本経済にまつわる「定説」を打ち破る本

この本を読むと、新聞やテレビでの報道ではわからない日本経済の本質よくわかります。「なぜ円高が悪いのか?」「日本の財政が破綻すると言われているのに、なぜ金利が低いのか?」などなど、一見当たり前のように言われている「定説」に対して素朴な疑問をぶつけながら、実は論理的に破綻していることを、やさしい言葉でわかりやすく説明しています。読んでいて、「この人、頭がいいんだな」と感じました。

この本でさらに大切なことは、日本経済が日本人が思っている以上に世界の中で重要な位置にあり、日本の産業はとてもすばらしいということが様々な例を挙げながら示しているところです。日本人や日本のメディアはどうしても自虐的になりやすく、家電製品では日本のメーカーがサムスンやLGなどの韓国メーカーに追い越されているのを見て、日本の製造業はもうだめだと思っている人もいるかもしれません。でも実際には、アジアの製造業を支えているのが日本メーカーが製造する高品質な部品や工作機械なのです。

これ以上のことは、是非この本を読んでみてください。



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2013年8月2日金曜日

インフレについて考える

これまでデフレは悪いことで、適度なインフレが望ましいとよく言われています。

エコノミストたちは、人々はデフレだとモノの値段がまだ下がるだろうと思うからモノを買うのを先送りしようとし、インフレだとモノの値段がこれから上がると思うから早くモノを買おうとするのだと言います。

黒田日銀総裁は就任時に2%インフレの達成に向けての不退転の決意を表明し、異次元の金融緩和を打ち出しました。その結果、円安が進み、株高が進みました。物価の方も上昇の兆しか見えてきたようです。

でもインフレになって本当に景気が良くなるのでしょうか?