この「日本の自殺」という本は、1975年に『文芸春秋』に収められた論文に解説を付けたものです。当時の日本はまだ高度成長による繁栄に沸き立っていた時期だと思いますが、この本は古代ローマの没落の原因から、当時の日本社会が内部的な要因によって自壊しつつあると警鐘を鳴らしています。そこで指摘されている問題点は、今読んでみても新鮮であり、本質的な解決がなされないまま、事態が悪化しつつあることがわかります。正直、はじめて読んだときはあまりにも現在の日本の状況を的確に予測したものであり、衝撃を受けました。もともとは1980年代の日本を念頭に置いて書かれたものだと思われますが、現在の日本が抱える問題の本質を理解する上ではとても参考になります。
まず、ここで分析のフレームワークとして援用されているのがトインビーの文明論ですが、本書の冒頭は、このような言葉で始まっています。
諸文明の没落の原因を探り求めて、われわれの到達した結論は、あらゆる文明が外からの攻撃によってではなく、内部からの社会的崩壊によって破滅するという基本的命題であった。次に、本書で指摘されている古代ローマの没落の原因を要約してみると次のようになります。
①ローマ市民は、次第に欲望を肥大化させ、労働を忘れて消費と娯楽レジャーに明け暮れるようになり、節度を失って放縦と堕落への道を歩みはじめた。
②人口の膨張により市民団のコミュニティを崩壊し、一種の「大衆社会化状況」が古代都市ローマの内部に発生し、急速に拡大していった。
③経済的の没落したローマ市民が「パンとサーカス」を要求するようになった。さらに、無償で「パンとサーカス」の供給を受け、権利を主張するが責任や義務を負うことを忘れたことで、恐るべき精神的、道徳的退廃と衰弱を開始した。
④市民大衆が際限なく無償の「パンとサーカス」を要求し続けることで、経済はインフレーションからスダグフレーションへ進んでいった。
⑤エゴの氾濫と悪平等主義の流行によって、衆愚政治に陥っていった。今の日本を見ると、約20年間にわたるデフレに苦しんできたので、インフレの心配はあまりないようにも思えますが、財政政策による景気対策を重ねる中で日本の財政状況は急速に悪化し、社会保障制度は破綻しつつあります。そうした意味では、「パンとサーカス」という福祉政策によって、日本が経済的に自壊しつつあるという危機感は古代ローマと共通しているとも言えます。
しかし、経済的な問題以上に問題なのは、精神的退廃ではないでしょうか。本書の中で次のように指摘しています。
こうして、自制心、克己心、忍耐力、持続力のない青少年が大量生産され、さらには、強靭なる意志力、論理的思考能力、創造性、豊かな感受性、責任感などを欠いた過保護に甘えた欠陥青少年が大量に発生することとなった。
このように、戦後日本の繁栄は、他方でひとびとの欲求不満とストレスを増大させ、日本人の精神状態を非常に不安定で無気力、無感動、無責任なものに変質させてしまった。それはまた伝統文化を破壊することを通じて日本人のコア・パーソナリティを崩壊させ、倫理観を麻痺させ、日本人の精神生活を破壊してしまった。この生活様式の崩壊と日本人の内的世界の荒廃は、日本社会の自壊作用のメカニズムの基礎をなしていったといわねばならない。
現代人にみられるこの思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化傾向は、一体なにによってもたらされたのであろうか。実に憂慮すべきことに、驚くべき技術の発達、物質的豊かさの増大、都市化、情報化の進展と教育の普及など高度現代文明がもたらした恩恵それ自体が、このような精神状態を副作用として引き起こしていたのである。さらに、本書で指摘している情報化社会における情報汚染の拡大や教育におけるエリートの否定と悪平等主義といった問題も、十分今でも通用する内容であり、多くの示唆を与えてくれます。
社会の幼児化というテーマでは榊原英資氏の「幼児化する日本社会」も参考になりますので、本書とあわせて読まれることをおすすめします。
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