2013年8月6日火曜日

広島の平和記念式典について思うこと

今年も8月6日、原爆の日を迎えました。

東京裁判でA戦犯の被告たちは、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」で起訴され、7名が絞首刑となりました。勝者が敗者を裁く東京裁判では当然のことながら、アメリカが投下した原爆や東京大空襲などは「人道に対する罪」として取り上げられることはありませんでした。原爆が投下された広島や長崎の惨状を知れば、原爆投下こそ最大の「人道に対する罪」だとしか思えません。

しかし、こうした声はあまり大きなものにはなりません。アメリカのルース駐日大使は、どのような気持ちで平和記念式典に参列しているのでしょうか?アメリカは実践で核兵器を使用した唯一の国であり、日本は核兵器の攻撃を受けた唯一の国であることは歴史的事実です。平和記念式典に関して言えば、どうしても「核の早期廃絶と平和な世界の実現」という抽象的な話になりがちですが、ぼくたちは、こうした歴史的事実を踏まえた上で、現在の日本はそのアメリカに守ってもらっているということを認識しなければなりません。

そう言えば、原爆死没者慰霊碑に刻まれている「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という碑文について、かつて、この「過ち」は誰が犯したものかということが議論になったことがありました。この文言だけを見れば確かに意味不明でして、あたかも日本人が過ちを犯したかのような印象を与えてしまいます。現在では碑文の主語は「人類」「すべての人びと」ということになっているようですが、釈然としないものがあります。

こうしたもやもやしたものがあるから、広島の平和記念式典に関する報道を見ても、どうも偽善的に感じてしまいます。日本は唯一の被爆国だからこそ核兵器の悲惨さ、非道さを世界に訴えることができるというように言われますが、アメリカは原爆の使用を正当化し、多くのアメリカ国民は原爆の使用はやむを得なかったと信じ込まされています。つまり正当化する理由があれば、どんなに非道な兵器でも使用はやむを得ないと考えてしまうわけです。だから、どんなに被爆が悲惨なものであったとしても、それはアメリカが悪いのではなく、日本の軍国主義が悪かったと言われて終わってしまう話なのです。

だから、日本政府としては無理でも、せめて広島市長くらいは「人類の平和」、「人類の過ち」などとぼかさずに、ストレートにアメリカの非道さを訴えて欲しいと感じました。



人気ブログランキングへ

0 件のコメント:

コメントを投稿