2014年9月21日日曜日

大企業が沈没していく中での人間ドラマ-『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』



三洋電機は一部の事業部は切り売りされ、パナソニックに吸収された本体も、SANYOブランドが消滅したことで、跡形もなくなってしまいました。本書は三洋電機の末期、すわなち創業家の井植敏氏とその長男の敏雅社長、そして敏氏に引っ張られて会長に就任したジャーナリストの野中ともよ氏という創業家サイドと、増資を引き受けたメインバンクの三井住友銀行とゴールドマンサックス、大和SMBCという金融機関サイドとの攻防という経営側の視点と、同時期の現場での反応や思いを交差させながら描いています。

2000年代はじめには、三洋電機はソニー、シャープと並んで日本の電機メーカーの勝ち組として3Sと称されていた。その当時、井植敏氏は「ナニワのジャック・ウェルチ」とまで言われていました。その時代の三洋電機は、自社ブランドという点では他の日本メーカーに比べると一段落ちる扱いではありましたが、デジカメはOEMを含めた生産台数は世界一でだったり、アメリカでのテレビの販売台数が一位であったり、携帯電話もドコモに参入できなかった分、auでは先進的なモデルと常に提供し、一定の存在感を示したりしていました。その他、電池や産業用の空調、冷蔵庫などでも高い評価を受けていました。当時売上高は2兆円を超え、従業員は世界で10万人にもなっていました。

同じく3Sと称されていたシャープは液晶パネルで飛躍的な成長を遂げたものの、その後過大投資が重荷となり、一時は経営危機が囁かれ、現在はようやく持ち直している状況です。また、ソニーはPC部門の売却などリストラを進めているが、つい先日も決算予想の下方修正を発表し、赤字を拡大させ、業績回復の見込みが立っていない状況です。

三洋電機の消滅からどのような教訓を得ることができるでしょうか?

戦略的失敗は現場での努力で挽回することはできないということでしょうか。あるいは、家族主義的経営がぬるま湯体質となり、問題の先送りの温床となったということでしょうか。見方を変えれば、短期的利益を追求する金融機関によって、三洋電機が解体されてしまったと言えなくもないでしょう。どの視点からこの問題を考えるかによって、得られる教訓は異なってくると思います。僕が最も気になったのは、日本の電機メーカーが苦境に陥る中、技術者の受け皿が日本国内に十分にないと、技術者とともに技術が海外にどんどん流出してしまうという問題です。本書で取り上げられれていましたが、三洋の車載電池の第一人者がパナソニックの方針に嫌気が差して退職したが、おそらくサムソンに転職したのではないかという話でした。電機メーカーが苦境に陥ることは、もはや一企業だけの問題ではなく、国家的損失にもなりかねない問題だと感じました。


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