2013年9月8日日曜日

経済界と文学界の重鎮が語る人生論-『何のために生きるのか』


何のために生きるのか?

誰もがこうした疑問を持ったことは一度や二度ではないと思います。そこに論理的な答なんてなくて、何を信じるかで「生きる目的」というものは決まってくるのではないでしょうか。でも良く考えてみると、こうした疑問を持てること自体、恵まれた環境にいるのかもしれません。

本書では稲盛和夫氏と五木寛之氏との対談という形態で話は進んでいきますが、お二人はともに昭和7年生まれということで、幼少時代にとても苦労されています。とにかく生きるために必死で、大人が動けないときには親兄弟を守るためには子供が働かなくてはいけないという環境は、苦労こそあれ、悲惨なものだとは思わないと断言されています。インドや東南アジアの子供たちはとても貧しくとも、目がきらきらと光っているのに対して、今の日本の多くの子供たちは経済的には恵まれていますが、閉塞感の中で、目が曇っているように感じます。

稲盛氏はこう語っています。
今のお話をうかがっても、子どものころの苦労とか厳しい災難というのは、人間をつくってくれるのではないかという気がしますね。それに比べて、今みたいに豊かで、子どもを蝶よ花よと持ち上げて苦労させないというのは、ほんとは幸せじゃないのかもしれない。そういう感じがします。
また、今の日本社会では、いのちが軽くなっていて、その根本的な原因はこころが乾いていることろにあると五木氏は語っています。

今の日本では、人は簡単に自殺をしてしまい、また他人を殺してしまう時代になってしまいました。五木氏のいう「こころの乾き」を癒すのは道徳や宗教、倫理観といったものになると思いますが、そうしたものは教育の中から排除されてきました。ここでまた、稲盛氏の言葉を引用します。
家庭の問題、学校の問題、会社の問題、経営の問題と、これだけ目まぐるしく変化する社会ですから、こころに思うことは山ほどあります。ところが、生き方の規範を持たず、心が十分に整理されていないがために、会社からリストラされたというような予期せぬ事態に直面すると、必要以上に慌てふためいてしまいます。
昔の人は困難に直面しても見栄やこだわりを捨てて裸一貫でやり直すことができたかもしれませんが、今の人は、すぐに思いつめてしまって自ら命を絶ってしまう、とても不幸な時代になってしまったと思います。

僕自身も困難な問題が重なったときは精神的に辛い状態になることはありますが、そんなときに仏教に関する本を読むと、気持ちが整理されて楽になることがあります。辛いときというのは、考えなければならないことより考えても仕方のないことばかり考えてしまい、堂々巡りになって、挙句の果てに精神的に疲弊してしまうことになります。こうした悪循環からこころを解放するためには、仏教の「物事に執着しない思想」が僕にはしっくりきました。まだまだ不十分ではありますが、こころに一つのしっかりした軸を持ち、それ以外のものへの執着をなくすことができれば、どんな問題でもしっかりと受け止めることができるようになるのではないでしょうか。

人生の目的について、稲盛氏はこう語っています。
私の人生の目的は、死を迎えるときに、私の”たましい”がさらに磨かれて美しくなっているのかどうか。それだけが人生の目的だと思うものですから、あらためてこの人生のなかで自分のたましいを磨いていくことをしようと思っているんです。 
運命というのはこころによって変えられると思っているのです。そのこころが信念にまで高まったものであれば、それによって運命は変えられる。
こころの持ち方で人生は変わってきます。本書をきっかけに、自分なりの人生哲学を模索してはいかがでしょうか?



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